hasu-footballのブログ

サッカー関連の記事多め。何かしら得ることのある内容にするつもりです。

僕が思う、読むべき、読んでほしい本8冊

学術書自己啓発


知的複眼思考法 苅谷剛彦

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内容紹介(Amazonより)
常識にとらわれた単眼思考を行っていては、いつまでたっても「自分の頭で考える」ことはできない。自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く、それが知的複眼思考法だ。情報を正確に読みとる力。ものごとの筋道を追う力。受け取った情報をもとに自分の論理をきちんと組み立てられる力。こうした基本的な考える力を基礎にしてこそ、自分の頭で考えていくことができる。ベストティーチャーの奥義!!

 

僕なりの書評
賢い人の思考法を、未熟な我々に丁寧に解説してくれる神本。僕の思考もこの本に依るところが多い。初めて読んだときの衝撃は大きく、思わずツイッターで絶賛した。リテラシーが求められる現代人にとって、必読の書だと思う。
文章は比較的読みやすいが、奥は深い。しっかりと理解するには最低でも2度読む必要があるだろう。しかし、そうしてここに書かれている内容をマスターできれば、もう思考停止に陥ることはない。思考は広く、深くなるだろう。
もっとも、ここに書かれている事を鵜呑みにするのも一種の思考停止なので、自分なりに考え、噛み砕きながら頭に入れることを勧める。


人を動かす デール・カーネギー

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内容紹介(Amazonより)
人を動かし、人に好かれる心理の機微を具体的に指導することにおいて、類書を断然抜き読む者に迫る本書は、年齢、職業を問わず、対人関係に光明を与えてくれる感動の書である。

 

僕なりの書評
就活生に勧められることも多いこの自己啓発書は、あまりに有名なので既に読んでいる人も多いだろう。対人関係をいかに円滑にするか、人に好かれるか等を、著者の豊富な経験をもとに論理的に書き連ねた歴史的名著だ。
意外に思われるかもしれないが、この本はエッセイに近い。何を語るにも著者の多彩な人生経験をベースにしているからだ。そのため、驚くほど読みやすく、理解しやすい。
ちなみにだが、ここに書かれている事をそっくりそのまま真似する必要はないと思う。読者が多い分、真似している人も多い。そのまま真似すれば、あなたの良さが消えてしまう。感銘を受けた箇所を座右の銘の如く脳裏に焼き付け、常にそれを意識しながら行動するのが最良だろう。そうすればきっと、影響力ある素敵な人になれる。


方法序説 ルネ・デカルト

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内容紹介(Amazonより)
すべての人が真理を見いだすための方法を求めて,思索を重ねたデカルト(1596-1650)
「われ思う,ゆえにわれあり」は,その彼がいっさいの外的権威を否定して達した,思想の独立宣言である.本書で示される新しい哲学の根本原理と方法,自然の探求の展望などは,近代の礎を築くものとしてわたしたちの学問の基本的な枠組みをなしている。

 

僕なりの書評
哲学書の代表格。内容紹介からして難しそうだし、実際とても難しい。少なくとも大学生になってから読むべきだと思う。
だが、内容は実に素晴らしい。偉大な天才哲学者が、「真理」導き出すまでの過程と方法を論理的に説明している。個人的には、彼の哲学が理解できなくても、納得できるまで文章を読むことが大切だと思う。この文章は論理性に満ち溢れた説得力あるもので、とても魅力的だからだ。これをものにできた暁には、相応の論理的思考力が身についていると思われる。

 

対談集

達人に訊け! ビートたけし

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内容紹介(Amazonより)
達人、それは常人の及びもつかぬことを成し遂げた偉人のことである。ムシにもオカマがいる!? 抗菌グッズは体に悪い!? 5年もかけて1本の注射針を開発!? 億単位のカネをかけた勝負に勝った!? 20年待ってやっと仕事をもらえた!? 達人だけが知る裏話と、彼らがたどった驚きの半生を、名ホストたけしが聞き出した! 情熱あふれる丁々発止の会話も絶品の、10人との豪華対談集。

 

僕なりの書評
ビートたけしと各界の達人たちの対談を書籍化したもの。対談集なので当然読みやすいが、内容は含蓄に溢れている。その道を極めた人々の独特の思考回路は面白く、また、専門的な話をたけしがわかりやすく掘り下げてくれるため、読んでいるだけで知識が身につく。そしてこの本の最大の醍醐味は、それらの中に時々、ハッと驚かされるようなものがあることだ。
時々たけしの自分語りも入るが、その度に彼も芸能界の「達人」であることを実感する。
かつてマイケル・ジャクソンは言った。「世界で最高の教育とは、その道を極めた人の働く姿を見ることだ。」と。

 

小説

人間失格 太宰治

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内容紹介(Bookデータベースより)
「恥の多い生涯を送ってきました」3枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていました。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性に関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝であり遺書であった。作品完成の1か月後、彼は自らの命を断つ。

 

僕なりの書評
日本文学史に残る超傑作。主人公は歪んだ思想の持ち主で、人として失格かもしれない。しかし、内気な優しさがあったり自己表現が苦手だったりと、一概に嫌いになれない面もある。その不思議な魅力に取り憑かれる人は多い。
太宰の確かな人間観察力と文章力の助けを借りて、我々は世の中の理不尽や人間の闇を垣間見る。彼以上に「人間失格」な人はいくらでもいる、と思うのは僕だけだろうか。


異邦人 アルベール・カミュ

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内容紹介(Amazonより)
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。

 

僕なりの書評
内容紹介を読むと、あまりのヤバさにドン引きする。しかし一度ページをめくると、その印象は一変する。もちろんヤバい人であることに変わりはないのだが、その言動は理解しがたいものばかりではない。時には妙に納得し、共感してしまうことも。かの有名な「太陽が眩しいから殺した」にもそれなりの背景事情があったりする。もしも我々が彼と同じ状況に置かれたら、人を殺さないと断言できるだろうか。彼を責められるだろうか。
世の不条理を描いたショッキングな内容、ユニークで不気味な人間描写、的確な情景描写がふんだんに盛り込まれており、短い作品でありながら超長編作品の数々を押さえて史上最高の小説に挙げられることも多い。読後の「すごいものを読んでしまった」感は未だに忘れられない。

 

苦役列車 西村賢太

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内容紹介(Amazonより)
友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫多。或る日彼の生活に変化が訪れたが……。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか――。青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と痛飲、そして怨嗟と因業を渾身の筆で描き尽くす、平成の私小説家の新境地。

 

僕なりの書評
芥川賞受賞作品。著者の実体験を精緻に綴った私小説だ。僕は本を一気読みしないタイプなのだが、この本は違った。興味をそそられ続け、ページをめくる手が止まらなかった。これは、味のあるストーリーは無論のこと、西村氏の驚くべき文章力の力が大きい。
表現力や語彙力の豊富な作家は多いが、彼ほど無理なく的確にそれらを駆使できる作家を、僕は他に知らない。主人公の置かれた苦境が、情景だけでなく匂いまで伴って脳に入ってくるショッキングな体験をさせてもらった。
きっと「文章が上手い」とは彼のことを言うのだろう。文章に感動したければこの本を読むべきだ。

 

占星術殺人事件 島田荘司

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内容紹介(Bookデータベースより)
密室で殺された画家が遺した手記には、六人の処女の肉体から完璧な女=アゾートを創る計画が書かれていた。その後、彼の六人の娘たちが行方不明となり、一部を切り取られた惨殺遺体となって発見された。事件から四十数年、迷宮入りした猟奇殺人のトリックとは?

 

僕なりの書評
あまりに強烈な天才的トリックは「史上最高のトリック」としばしば絶賛される。世界的評価も高い。決して複雑すぎず、シンプルなのも肝。
ミステリー小説ということもあり本まとめに載せるべきか迷ったが、ミステリーの醍醐味を味わえるので載せた。ミステリーに少しでも興味があるなら「読んでほしい」と思う。そうでない人は読まなくていいと思う。
導入部分をはじめ、無駄に長く読みにくい箇所もいくつかある。低評価をつける人がいるのはそれが理由だろう。しかし、そこを乗り越えた読者には最高のご褒美が待っている。

芳根京子に命を救われた話

昨年10月の夜7時。
うつろな目をした僕は、つり革にぶら下がるようにしてJR東海道線に揺られていた。ガタガタと響く走行音がやけに遠くに聞こえる。
この日、僕は会社でやらかした。といっても仕事でミスをしたのではない。

「はぁ〜、もうこんなのありえな〜い。」

と声に出してしまったのだ。
思い描いていたのと違う会社でのキャリア、そんな会社を選んでしまった自分、見つからない今以上の転職先… 悩む日々に心を蝕まれていた。当時SNSで悪質な嫌がらせや誹謗中傷を受けていたことも手伝って、無意識のうちに喉から声が出ていた。前日に聴いたDAOKOの名曲「水星」の一節だった。

 

上司や先輩がハッとした顔で僕を見るのを、サッカーで鍛えた間接視野で捉えた。ああ、辛いときも笑顔で働いてきたけれど、今の一言で終わったな。これからは皆が自分を煙たがる。ヒソヒソ影で悪口を言う。人間関係の良さのおかげで辛うじて頑張ってこれたのに。もうダメだ。死のうかな。そんなことを思った。
今になって考えてみれば無茶苦茶だ。パッと発した一言でここまで自らを追い詰めるとは。「プライベートで彼女にふられた愚痴を…」とか、嘘でも言い訳はできるのに。どうかしている。
だが、当時の僕はそれほどまでに混乱していた。前後不覚。五里霧中。視界は灰色がかり、居場所も逃げ道もないような気がした。

 

精神的に追い込まれ、前もよく見えない状態で、フラフラと歩いた。駅の階段を機械的に上り、空いている列を死んだ魚の目で探し、そうして満員の東海道線に転がり込んだのだった。
遠くに聞こえる走行音。倒れそうになりながら、僕は突如として真っ黒い狂気に苛まれた。

いっそ飛び込んでしまおうか。この重さに押しつぶされれば確実に逝けそうだ。よし、そうしよう。思い立ったが吉日。


次の東京駅で降車することを決めた。東京駅のホームから丸の内のキラキラ光る夜景を見て、それから後続列車に飛び込むことにしたのだ。最後に脳裏に映る映像くらい、美しくしておきたい。

早く東京に着かないかな。僕は少しワクワクしていた。表情も明るかったと思う。これで楽になれるのだ。あ〜、楽しみ〜。


しかし、ここで本来の思考回路が「待った」をかけた。飛び込みは多くの人に迷惑をかける。人に迷惑をかけないよう生きてきた人生の集大成が、人に多大な迷惑をかけるものでいいのか?と。
言われてみればそうである。自分に最も相応しくない最期を当たり前のように想像していた。背筋が凍った。
だが、すぐに狂気がカムバックしてきた。「死んじまえばそんなの関係ないよ」「YOU、最後くらい思いっきり周りに迷惑かけチャイナ!」「もう気を遣うのには疲れただろうパトラッシュ」
狂気と正気のせめぎ合い。どちらが勝つかは神のみぞ知る。僕は第三者目線でジッと成り行きを見守っていた。もはや脳は回転していなかったと思う。
そうこうしているうちに、東京駅が近づいてきた。だが未だ勝敗は決していない。考えがまとまらず、焦る。心臓がバクバクする。息苦しさを感じ、思わず俯いていた顔を上げた。

 

その時だった。ちょうど車内ビジョンにNewDaysのCMが流れた。1人の若い女性が、駅でパンを配るCMだ。
女優の芳根京子だった。

彼女のことは以前から知っていた。知性と品格のある和風美人。演技力も高く、今時の若手女優には貴重な人材だ。各方面から絶賛された主演ドラマ「チャンネルはそのまま!」も記憶に新しい。
しかし、車内ビジョンに映った彼女は、そんな記憶の中の姿よりも格段に美しかった。庶民的な雰囲気漂う中、明るく笑顔でパンを配っている。ただそれだけなのに、1人だけ神秘的に輝いていた。その不可思議な現象に頭がクラクラし、もしや自分はあの世に来てしまったのでは?と錯覚した。

約30秒後、CMが終わると同時に僕は正気に戻った。だが、彼女の美しさは頭から離れなかった。ドラマ「TRICK」で若かりし日の仲間由紀恵を見た時のような衝撃だった。
そして疑問を感じた。なぜ自分は今まで、あの若手女優の美しさに気づかなかったのだろう。
それから、ふと思った。もしかしたら、自分は世界のほんの一部しか見ていないのではないかと。
瞬時にYou ain't seen nothing yet.というフレーズが頭に浮かんだ。「あなたはまだ何も見ていない」から転じた「本当に凄いのはここからだ」という意味のフレーズである。
世界の全てに絶望した気になっていたが、あんなにも素敵な女優をあっさりと見逃していた。この調子では、まだまだ見逃している素敵な世界がありそうだ。こりゃ、ここで死ぬわけにはいかないな。

 

その直後、電車が東京駅に到着した。「Tokyo!」の掛け声とともに、人々が「イェーイ!」と雄叫びをあげ…ることなくゾロゾロと降りていく。
だが、僕は降りなかった。飛び込み自殺を中止したのだ。永遠に。

 

彼女は人を救うためにCMに出演したのではない。企業のPRのためだ。しかし、それが偶然にも同年代の1人の男を救った。人生とは、不思議なものである。

さて、そうして命拾いした僕は、まだ生きている。会社は辞めたし未来もよく見えないが、生きている。
今も時々、芳根氏のSNSを見る。彼女はツイッター、インスタ、アメブロで、のほほんとした癒し系の日常を綴っている。最近は自粛の影響か、料理作りの投稿が多い。楽しそうな調理風景の写真をふんだんに載せながら、丁寧に調理過程を解説している。意外にも本格的で驚かされる。また、番宣が最小限に抑えられてるのも素敵だ。

 

きっと、存在が尊いとはこのことなのだろう。彼女はインスタライブでファン向けの企画を募集したりもんじゃ焼きを作って食べたりしているが、僕からしてみれば「存在してくれていればそれで幸せ」なのだ。それ以上、何も求めることはない。
もっとも、女優としてさらなる活躍を見せてくれれば最高に嬉しい。彼女には若さだけでなく知性と品格、そして確かな実力がある。すでに売れっ子だが、彼女のキャリアはまだまだこれからだと思う。You ain't seen nothing yet. とにかく、彼女には幸せになってほしい。

僕はこれからも、彼女に助けられた命で可能な限り生きるつもりだ。

そして、あのとき命を救ってくれた「べっぴんさん」を、陰ながら応援していく。

そう思えるだけの余裕が、今は僕にはある。

リフティングは重視すべきでないと考える理由

リフティングの必要性については昔から議論されたきた。
これについて結論から言ってしまうと、僕は「不要とまでは言わないが、重視すべきものではない」と考えている。ここではその理由を4つ書こうと思う。

 

目次
1、リフティングの動きは実際のサッカーであまり使わない
2、リフティングをする際の状況が非実戦的
3、リフティングが苦手な一流選手もいる
4、稀代の名手がリフティングに否定的な立場をとっている


1、リフティングの動きは実際のサッカーであまり使わない

 

リフティングとは、足の甲でボールを軽く蹴り上げ、低い位置から落ちてきたボールを再び蹴り上げるという動きの繰り返しだ。
実際にサッカーをプレーしたことがある人ならば容易に理解できるだろうが、これらの動きはサッカーでは滅多に使わない。ボールをあんなに軽く蹴ることなど滅多にないし、上に蹴り上げることも滅多にないし、あんなに低い位置から落ちてきたボールをトラップすることも滅多にない。
リフティングの動きは、サッカーの試合で使う動きとは異なるのだ。
言い換えれば、リフティングの動きをサッカーの試合で使うことはまず無いということ。フットサルでは使うかもしれないが、サッカーでは基本的に使わない。

 

2、リフティングをする際の状況が非実戦的


リフティングは多くの場合、狭いスペースで1人で行う。しかしながらサッカーの試合では、広いスペースを走り回りながら、周囲の敵と対峙しながら、ボールを操ることが求められる。
1人で、狭いスペースで、いくらボールを巧く操ることができても、実戦では状況が根本的に異なる。心身にかかる負担や求められる能力に違いがあるのだ。
かつて「日本人選手は練習では世界一上手い」との声を聞いたことがあるが、これも練習と実戦の質の差異が原因だと思う。実戦から程遠い練習は、役に立たないとまでは言わないが、あまり効果的ではないように思える。
そういえば昔、僕のサッカー仲間が「リフティングは自分との戦いだ」と言っていた。自分との戦い。実に聞こえが良いし、実際に崇高な行為だと思う。しかし、サッカーは自分とだけ戦う競技ではない。相手がいて初めて成り立つ対戦型ゲームなのだ。相手の存在が皆無の状況でボールを操ることに、どの程度の価値があるのだろうか。

ちなみに、周りに人がいる状況で、動きながらリフティングをするのは良い練習になると思う。多少なりとも実戦的な動きになるし、精神的にもプレッシャーがかかる。

 

3、リフティングが苦手な一流選手もいる


有名な話だが、元アルゼンチン代表のバティストゥータや元フランス代表のデシャン、同じく元フランス代表のマケレレはリフティングが苦手だった。デシャンに至っては10回も出来なかったそうだ。
こうして見ると昔の選手ばかりだが、2.3年前にはテオ・エルナンデスレアル・マドリード移籍時のセレモニーにおいてリフティングを上手くできずに話題になった。(彼は今季ACミランで大活躍中である)
もちろん、彼らは数少ない例外だと思う。大半の一流サッカー選手はリフティングを普通にこなすことができる。だが少なくとも、「リフティングすらできない選手はプロになれない」との言説は誤りだと言えるだろう。上記のサッカー選手たちはプロ中のプロ、超一流なのだから。

 

4、稀代の名手がリフティングに否定的な立場をとっている


僕は「○○がこう言っているから正しい」という論調を好まない。思考停止に陥っているような気がするからだ。
しかし、今回紹介する「リフティングに対する否定的な意見を公言した選手」は、あまりに大物だ。彼の名はアンドレア・ピルロ。天才的な技術と頭脳を武器に、イタリア代表、ACミランユベントスで中心選手として活躍し続けたレジェンドである。
彼はこう語る。

「ボールとのコンタクトは重要だ。常に、テニスボールでもなんでも、あらゆるものでプレーしよう。僕にとってリフティングは退屈なもので、役に立たない。壁に向かってシュートしたり、止めたり、空に向かって蹴ったりする方がずっとマシだ」

彼はリフティングを「役に立たない」と断言した。具体的な理由は述べられていないが、世界最高のサッカー選手の1人として最前線でプレーし続けた彼の発言には強い説得力がある。
ピルロがリフティングは役に立たないと言ってましたよ」と言うだけで、たいていの指導者はリフティングを強制させられなくなる。それくらいの威力があると思う。

 

以上、僕がリフティングをあまり重要でないと考える理由を4つ挙げた。4に関してはサポート的な役割しか果たしていないが、案外4が最も説得力を備えているのかもしれない。

 

ところで、この文章を読んだ人に勘違いしてほしくないのは、僕はリフティングの上手い人を貶したいわけではないということである。(率直に言って、リフティングの上手い人は凄いと思う。たまにYouTubeでリフティングの動画を鑑賞するが、見ていて惚れ惚れする。)

僕が主張したいことは、
リフティングが下手というだけでサッカー少年の能力や将来性を否定してはいけない
ということである。

強豪サッカーチームに必要不可欠な2つの要素

強いサッカーチームとは、どのようなチームか。

連携が良いチーム? 監督が優秀なチーム? ズバ抜けて能力の高い選手がいるチーム? それとも、人間力の高いチーム?

定義は色々あると思う。ただ、現代サッカーにおいて強者たるためには、次の2つの要素が不可欠だと考える。

1、理論でサッカーを考えられるが、理論に雁字搦めになることはない監督の存在
2、明らかな弱点が無いこと

 

どちらも当たり前のことだが、この2つに難があるチームが好成績を収めるのは極めて難しいと思われる。

 

まず1について。
現代サッカーでは理論が重視され、「感情論」や「感覚」の居場所が日に日に狭くなっている。このことは、感覚重視の南米サッカーが理論重視の欧州サッカーに太刀打ち出来ないことからも明らかだろう。この流れは日本にも到来しており、昨年のJ1にはそれが明確に現れた。

しかし同時に、理論だけでは勝てないのもサッカーだ。理論だけで勝てるのなら、SNSで戦術論を語っているみなさんは今すぐ監督になるべきだし、フアン・マヌエル・リージョは世界一の名将のはずである。
これについては過去に持論を述べている。詳しくはhttps://note.com/hasumyon/n/ndac59f7bb32fを参照のこと。

要するに…
監督が理論武装できることは、現代サッカーにおいて必要不可欠である。しかし一方で、理論だけではなかなか上手くいかない。選手の即興のアイデアが無なければロボットのサッカーのようになって意外性に欠けるし、時には理論のかけらもない選手任せの南米流攻撃の方が効果的なこともある。

ゆえに監督には「理論」と「理論に雁字搦めにならないこと」の2つが求められると思う。

 


次に2について。僕は、明確な弱点が無いことは「had better」ではなく「must」だと思う。

明確な弱点と一概に言っても、攻撃における明確な弱点と、守備における明確な弱点がある。

攻撃における明確な弱点とは、
・1人の選手への過度な依存
・攻撃力の低い選手の存在
・攻撃パターンの明白さ

守備における明確な弱点とは、
・1人の選手への過度な依存
・守備力の低い選手の存在
・守備の癖の明白さ

似たようなものではあるが、一応このように分類できると思う。

さて、なぜチーム強化に際して、これらの弱点があってはならないのか。
それは、「相手の守備の弱点を突く攻撃」と「相手の攻撃のパターンを分析する守備」が現代サッカーの重要な要素だからである。

すなわち、
守備における明確な弱点(1人の選手への過度な依存・守備力の低い選手の存在・守備の癖の明白さ)があっては、相手の守備の弱点を突く攻撃に耐えられないし、
攻撃における明確な弱点(1人の選手への過度な依存・攻撃力の低い選手の存在・攻撃パターンの明白さ)があっては、相手の攻撃のパターンを分析する守備を掻い潜れない。

ということである。

ところで、ここまで読んで「依存や戦術の癖はさておき、1人くらい弱点になる選手がいても何とかなるのでは?」と感じた人もいるかもしれない。
だが、その見立ては甘いと言わせてもらう。
1人でもウィークポイントになる選手がいると、周りの1〜2人がその穴埋めに奔走することになる。すると今度はその1〜2人の立ち位置がズレて、相手に狙われる。なのでそこも周囲の1〜2人がカバーをする…といった風に、いたちごっこをする羽目になる。
このいたちごっこを余儀なくされているチームは多いし、別に悪いことではない。「これぞチームワーク!」と美談にすることも可能だ。
しかしながら、これをやっていては強豪チームにはなれないと思う。勝つためにはもっと合理的にリソースを割くべきであり、味方のフォローに必死になっていてはいけない。

ここまで読んで、とあるJ1のクラブチームを思い浮かべた人は多いのではないだろうか。そう。

 

ヴィッセル神戸
である。

 

数年前、三木谷氏が本格的に神戸強化に乗り出した。具体的な内容は、僕が書くまでもなく皆がご存知かと思うので割愛する。

ところで、神戸はなかなか強くならなかった。「金をかければいいってもんじゃない」と批判されていたが、具体的にどう金の使い方を誤っているのかは誰も指摘していなかった。ちなみに僕も指摘できなかった。
今になって見れば、あれは「大金を投じながらも前述の2つの要素を満たせなかったこと」が原因だと思う。

1、監督…理論武装できない監督や、理論に雁字搦めになっている(?)監督を招聘してしまった。常にチームはチグハグだった。

2、弱点…ヴィッセル神戸には常に弱点があった。強化初期はそれこそ大半のポジションが物足りなかったが、数年かけて多くのポジションに強力な補強を施してもなお、不思議なことに1人、明らかな弱点が存在していた(個人名は挙げないでおく)。

 


ところが昨年、ヴィッセル神戸はこの2つの要素を満たすことに成功する。

1、トルステン・フィンクの監督就任
ドイツ出身の熱血指揮官は、スタンダードな欧州流を神戸に移植した。意外にも感情ではなく理論をベースに論理的なチーム作りに成功。しかし理論理論とはならず、時には古橋のスピードやドウグラスの個人技頼みの、南米流攻撃も仕掛けることができる。サイドから攻撃された時に中央がスカスカになりがちという守備面の課題こそあるものの、概ね素晴らしい指揮官と言える。

2、フェルマーレン酒井高徳の加入
現役ベルギー代表と、元日本代表の補強。それも、弱点だった左サイドに。あまりにピンポイントだった。攻撃の足かせは無くなり、守備の穴も消え、イニエスタ・サンペール・山口蛍の守備の負担も大幅に減った。また、この2人は自ら考えて的確に動けるので、監督が細かいところまで戦術で縛る必要がなくなり、結果として攻守共にパターンが固定されず、柔軟なチームになった。「攻撃のパターンの明白さ」も無くなったのである。

昨年の夏に加入した3人によって、ヴィッセル神戸は一躍強豪クラブへと変貌を遂げたように思える。もっとも、先に挙げた守備面の悪癖とか、ACLに出場するわりに選手層が薄いとか、依然として弱点(というか不安材料)は存在する。
しかしながら、それらは「明らかな弱点」と言えるほどのものではない。
1.2の要素を満たした以上、ヴィッセル神戸は強豪クラブになったと考えていいと思う。

 


ヴィッセル神戸を具体例として挙げたのは、強豪クラブになろうと数年もがき、遂に僕の考える2つの要素を満たして生まれ変わった、あまりに典型的な例だからである。
神戸以外のチームについても、概ねこの法則は当てはまると思う。例えば2018年ロシアW杯を制したフランス代表や、大健闘を見せたクロアチア代表、イングランド代表もそうだ。

所詮は素人が思いついた「激しさを増す現代サッカーを勝ち抜くための2つの条件」。もしかしたら、他にも必要な条件はあるのかもしれない。

ただ、現在の僕が辿り着けたのはこの2つの要素なのである。そして、この2つだけで良いかはさておき、この2つは絶対に欠いてはならないと考えている。
そんなわけで自信が芽生えたので、こうして文章にした次第である。
 

 

僕が観た傑作韓国映画5選+1

初めに断っておくが、僕は韓国という国があまり好きではない(本題から外れるので理由は書かない)。しかし、韓国の映画の質の高さには毎度驚かされている。

 

実は本日で、気になっていた韓国映画5作品を全て観終えた。どれも素晴らしかった。そこで今回は、僕が観た韓国映画5つをランキング形式で紹介し、感想を書こうと思う。決してネタバレは踏まないので、興味がある人は読んでみてほしい。

※なお僕の嗜好の関係上、恋愛映画は一つもない。サスペンスのみである。そもそも、韓国映画はサスペンスが至高なのだ。

 

5位 母なる証明

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2009年公開 監督:ポン・ジュノ 主演:キム・ヘジャ 129分

【ストーリー】

軽度の知的障害を持つイケメン:トジュンと、彼を愛してやまない母。2人は貧しい日々を過ごしていたが、ある日トジュンが殺人容疑で逮捕されてしまう。警察によれば、女子高生殺人事件の容疑者なのだそう。確かにトジュンには事件発生時のアリバイがなく、他に怪しい人物もいない。そのため、皆がトジュンを犯人だとみなす。しかし、愛する息子が犯人のはずがないと確信した母は、孤立無援の中で1人、真犯人を探し始める…

 

【感想】

終始暗い雰囲気の中、母親の異常なまでの息子愛が痛烈に描写される。これだけでも観る価値があると思う。(ポン・ジュノは苦難の中にある人間を描くのが本当に上手い)

もはや狂気とさえ言える彼女の執念は、どのような結末を迎えるのか。それが気になって終始目が離せなかった…と言いたいところだが、所々に若干の間延び感があり、多少ダレたのは否めない。必要以上に尺を取るシーンが多かった印象。それが勿体なかった。(何様)

オチはとても複雑な気分にさせられる。自分を愛し、無罪を信じて走り回ってくれる人がいることは、とても幸せなことなのだ。

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※余談 いとうあさこにそっくりな女子高生が出てくることで有名

 

4位 新 感染

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2016年公開 監督:ヨン・サンホ 主演:コン・ユ 118分

【ストーリー】

家庭を顧みないビジネスマンのソグが、娘と特急で釜山へ行くことに。しかし彼らが電車に乗り込む頃には、ゾンビウイルスが密かに大流行していた。やがて電車にも感染者が乗り込み、何も知らない乗客はパニックに陥る…

 

【感想】

ゾンビ要素に超特急を組み合わせた作品。電車という狭く長い空間で、増え続けるゾンビからいかにして逃れるか。パッケージ写真でネタバレされているが、後半からは電車を降りて駅や車両基地に舞台を移す。

シンプルなパニックものではあるが、一筋縄ではいかない攻防戦や巧みな人間描写が高評価の要因だろう。映画だと分かっていてもついハラハラしてしまう演出と、迫真に迫る俳優陣の演技力に拍手。

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※余談 妊婦役のチョン・ユミがとても綺麗。

 

3位 チェイサー

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2008年公開 監督:ナ・ホンジン 主演:キム・ユンソク 125分

【ストーリー】

デリヘル嬢が次々に失踪する事件が発生。彼女たちの雇い主であるジュンホは、最後に消えた嬢:ミジンの着信履歴と彼女の行き先を手がかりに、犯人の家の特定に乗り出す…

 

【感想】

激しいアクションシーンはほとんどないが、息をつく暇もないほど画面に釘付けになる。終盤は息をすることを忘れてしまうので注意。

だが、韓国でR-18指定になったのも納得のグロさがキツい。量は少ないが、質がエグい。犯人の鬼畜さにも心をえぐられる。グロが苦手な人は観てはいけない。

ちなみに、犯人が誰かは重要ではない。わりとすぐわかる。話の肝は犯人とジュンホの攻防と、ジュンホがミジンを救えるのか。圧倒的に不気味でスリリングな演出が巧妙。ついつい感情移入させられてしまい、観ていて思わず「やめてくれ〜」「何やってんだよ〜」と言いたくなってしまった。中だるみを一切許さないストーリー展開も見事。

ネタバレになってしまうので後味の良し悪しは書かない。グロさのせいで観る人を選んでしまうのがもったいない名作である。

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※余談 実際にあった事件を基にしている。

 


2位 殺人の告白

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2012年公開 監督:キム・ビョンギル 主演:パク・シフ 119分

【ストーリー】

ヒョング刑事の命がけの捜査も虚しく、連続殺人事件が時効を迎えてしまう。それから2年後のある日、ドゥソクという青年が「あの事件の犯人は私です」と公表する。端正なルックスと溢れ出るカリスマ性で一躍時の人となった彼だったが、長年事件を追い続けたヒョングは「こいつは犯人ではない」と確信する。

一方その頃、事件の被害者遺族が結成した団体が、ドゥソクを拉致する計画を立てていた。

果たしてドゥソクは真犯人なのか。そして彼はなぜ、告白したのか…?

 

【感想】

どんでん返しが素晴らしい。完全にやられた。個人的にどんでん返しが好きなので、2位にランクインさせてもらった。アクションがド派手でめちゃくちゃだったり、所々笑えるシーンもあったりと、ツッコミどころもあり、純粋に映画としての質を見れば上の下くらいだろう。しかし、徐々に明らかになる登場人物たちの過去、連続殺人事件の真相、そしてドゥソクの告白の本当の理由がお見事すぎる。これだけ質の高い脚本を一から書いた脚本家にあっぱれ。

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※余談 この映画は、後に紹介する「殺人の追憶」にインスピレーションを受けて制作された。また、登場人物に、及川光博&ノンスタ石田、元サッカー日本代表森岡隆三石田ゆり子、たんぽぽ川村、芸人の永野のそっくりさんがいる。

 

1位 殺人の追憶

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2003年公開 監督:ポン・ジュノ 主演:ソン・ガンホ 130分

【ストーリー】

連続強姦殺人事件が発生する。3人の刑事が捜査を進めるが、犠牲者は増え続ける。それでも粘り強く懸命に捜査を進めた甲斐あって、次第に事件の共通点や犯人像が明らかになる。そしてついに、怪しすぎる若い男に行き着くが…

 

【感想】

文句のつけようがない映画。脚本、構成、演技、演出、雰囲気作り。全てが完璧である。

これはサスペンスだが、ヒューマンドラマとしても優れている。手掛かりの少ない難事件に挑み、次第に心と身体を蝕まれていく3人の刑事。怪しいような怪しくないような、微妙なラインに立つ容疑者たちの奇妙な日常。そして、それらを含めた警察内部でのやり取りもテンポが良く、中だるみ知らずである。

また、中盤に村で繰り広げられる追走劇は最高である。特に、容疑者が逃げ込んだ炭鉱の雰囲気。あの絵面だけで、この映画は傑作だとわかる。

綺麗に終わらないオチに不満を持つ人がいるようだが、実話をベースにしているのだから仕方ない。逆に言えば、オチのモヤモヤ感にさえ不満を感じなければ、もう他にケチはつけようがないということである。

ポン・ジュノはこの映画の大ヒットで一躍名を轟かせ、今や世界的な名監督である。天才の技をご覧あれ。

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※余談 この映画の基となった未解決事件の犯人が2019年に判明し、話題になった。

 

番外編:オールドボーイ

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【ストーリー】

突然誘拐され、窓のない部屋に監禁された男。15年後に解放された彼は、自分を監禁した犯人と監禁の理由を求め、動き出す。

 

【感想】

韓国映画といえばこの作品を思い浮かべる人も多いだろう。僕も観た。しかし、僕が観たのはハリウッドのリメイク版だ。そして、衝撃のオチを知った後に韓国版のストーリーを読んだところ、リメイク版の方がストーリーが優れているような気がしてしまったので、結局韓国版は観ずにいる。(内容は99%同じだが、ハリウッド版の方が展開に無理がないのだ)

実際は、演出から何から韓国版の方が評価が高い。レビューを観るに、相当な傑作なのだろう。もっとも、あのストーリーなら傑作になるのは当然なのだが…

本当は紹介したかったが、観ていないものを紹介するのはいかがなものかと思いやめた。

 

※余談 韓国版とハリウッド版。上述の通りストーリーは99%同じだが、韓国版で少し非現実的だった部分をハリウッド版は絶妙な方法でより現実的にしている。韓国版に比べ暴力描写のエグさも緩めらしいので、ハリウッド版もオススメである。ちなみにこの映画の原作は日本の漫画である。しかし、基本的な設定を除けば別物であり、映画に比べてオチも微妙なので、あまりオススメしない。映画化に成功しすぎた珍しい例と言える。

 

おわりに

韓国にマイナス感情を持つ人が多い今の日本。僕も正直、良い印象は持っていない。しかし、映画にまでその感情を持ち込まなくてもいいと思う。映画は映画。政治的な思想を理由に、抜群に優れた韓国映画を避けてしまうのはもったいない。

今回紹介した映画5つには、反日要素など一切ない。余計なことを考えず、純粋に「芸術作品」として味わってみてはいかがだろうか。

森保一はなぜ親善試合で全力を尽くさないのか

最近サッカーファンの間で「森保一解任論」が加熱している。原因は、U22のコロンビア戦、フル代表のベネズエラ戦、そして先週のE-1杯で、低調な内容と成績に終わったことだろう。

 

目次
森保一の親善試合に対する姿勢
森保一は真剣勝負では結果を残している
なぜ彼らは親善試合を重視しないのか。
「真剣勝負で勝てるならいいけど、本当に勝てるのか?」
我々は森保一を信じるしかないのか。
まとめ
余談 もしも僕が東京オリンピックを観れなかったら


森保一の親善試合に対する姿勢
しかし僕は、批判はともかく解任論はナンセンスだと思う。森保一は親善試合を「選手選抜の場」「システムをお試しする場」くらいにしか思っていない監督だ。これは選手選考や選手起用から明らかだ。

そしてこれは、前監督ハリルホジッチと同じである。彼も親善試合を重視していなかった。昨年、JFA会長に電撃解任された時に彼が放った「まさか親善試合を理由に解任されるとは」という言葉は非常に有名で、近々聖書にも載ると言われている。
冗談はさておき、ハリルホジッチの通訳を務めていた樋渡群氏のご兄弟である樋渡類氏によれば、森保一ハリルホジッチと最も親しくしていた人物らしい。彼らは親善試合に対する姿勢が似ていたからこそ、親しくなったのだろう。

 

森保一は真剣勝負では結果を残している
森保体制になってからの真剣勝負は、アジアカップとW杯アジア二次予選の2つだ。
アジアカップでは序盤に苦しんだものの、大迫が負傷で離脱する中サウジアラビアやイランを破り決勝に進んだ。決勝では帰化選手を複数人擁し、毎日同じメンバーで練習する"クラブチーム"と化したカタールに惜しくも敗れた。相次ぐ負傷の影響で、本職ボランチが柴崎しかいなかったのも大きく響いた。
W杯アジア二次予選では、ここまで全勝。イランや韓国やUAEといったライバル国が苦しむ中、オーストラリアと共に順調な戦いを見せている。

※なお、アンダー世代で臨み、兵役免除をかけた韓国に決勝で敗れたアジア大会に関しては、主力を呼べなかったので除外する

このように、真剣勝負では結果を残しているのが森保ジャパンなのだ。この点でも、ハリルジャパンに似ている。

 

なぜ彼らは親善試合を重視しないのか。
親善試合も全力で戦ってほしいと思う人は多いだろう。だがそれは、出来ない頼みだ。これには5年前に日本サッカーが味わった悪夢が関係していると思われる。
本田圭佑香川真司遠藤保仁らを擁したザックジャパンは、親善試合であろうと選手選考からシステムから全力で戦った。キリンチャレンジカップはもちろんのこと、欧州遠征でも素晴らしい内容・結果を残してきた。
国民はサッカー日本代表の試合を(例え親善試合であっても)心から楽しみにし、選手たちをアイドル視し、某選手がW杯前に口にした「目標は優勝」という言葉の実現を半ば本気で期待していた。スポンサーやテレビ局もウハウハだったろう。
しかし、W杯の結果は散々だった。コートジボワール戦は、先制点以外ろくにチャンスも作れずに同じパターンで2失点し敗戦。ギリシャ戦は早い段階で10人になった相手に1点も取れず引き分け。コロンビア戦は2006年W杯のブラジル戦を彷彿とさせる圧倒的惨敗を喫した。最後にハメス・ロドリゲスが見せた日本を嘲笑うかのようなループシュートは、日本国民に屈辱感と絶望感を植え付けた。我々日本国民が見たあんなにも華やかな夢は、わずか2週間で破れてしまった。

この悲劇や、対照的にこの大会で躍動したハリル率いるアルジェリア代表、そして、前評判の良くなかった前回大会の岡田ジャパンの例から、勘の良いサッカーファンは学んだ。
「親善試合で本気を出しても意味がない。むしろ対策を練られてしまい、肝心のW杯で勝てなくなる恐れがある。リスキーだ。」
これは、現代サッカーの主流が「自分たちの良さを出すサッカー」から「相手の良さを封じるサッカー」へと転換したことや、技術が発達してスカウティングの精度が上がったことも関係しているだろう。

そして上記太字部分の仮説は、ザックジャパンの敗退から4年後、直前の親善試合で散々な試合を見せていた西野ジャパンがW杯で躍進を遂げたことで、さらに力を付けた。親善試合で悲惨な内容・結果を見せていたチームが、本戦でまさかの躍動。
「日本代表は期待されない方が結果を残せる」というのは感情論だ。「親善試合とあまりに違う日本代表に、対戦相手のスカウティングが追いつかなかった」と考える方が論理的だろう。

ところで、前述したとおり森保一ハリルホジッチと仲が良かった。また彼は、実際に親善試合の内容・結果の悪かった日本代表の方が真剣勝負で好成績を残していることも知っている。これが、彼が親善試合に全力で臨まない理由だと考えられる。

 

「真剣勝負で勝てるならいいけど、本当に勝てるのか?」
そう思う人は多いと思う。正直、僕もそうだ。こればかりは誰にもわからない。全く期待されていなかったチームが躍進し、優勝候補のチームがあっけなく敗退するのが真剣勝負の怖さだ。森保ジャパンが親善試合を重視していないことが、本戦で結果を残せる保証にはならない。
だが少なくとも、親善試合で全力を出して研究されるよりは、親善試合でベストメンバーを使わず手の内もあまり見せずにいた方が、真剣勝負で勝てる可能性は高い。これは、前述した過去の日本代表が教えてくれる。

 

「親善試合でも真剣勝負でも良い内容・結果が欲しい」と願うのは皆同じだ。だが、日本のようなサッカー中堅国にとってそれが無理難題であることは、(これもまた)過去の日本代表が教えてくれる。そんなことが可能なのは一部の強豪国だけだ。5年前に身の程を弁えず真似して痛い目にあった日本が、再び悪夢を見に行く必要はない。
では、親善試合と真剣勝負の二者択一となれば、どちらを選ぶか。真剣勝負に決まっている。あいにく森保一は、ハリルホジッチと同じく、スポンサーや電通に媚を売るタイプではない。国内の親善試合に海外の主力を呼ばなくなったことからも、それはお分かりいただけるだろう。

畢竟、肝心なのは真剣勝負なのだ。

 

我々は森保一を信じるしかないのか。
散々な親善試合を見せられても、我々は森保一を信じるしかないのか。僕はそう考えている。親善試合は参考にしない。
もっとも、そう遠くない日に始まるアジア最終予選は(E-1杯とかいう謎の大会と違い)紛れもない真剣勝負なので、ここで良い成績を残せなければ解任すべきだろう。だが、親善試合の内容や結果に関しては傍観するしかないと思う。

不安かもしれないが、思い出してほしい。親善試合やE-1杯でよくわからないサッカーに終始していたハリルホジッチは、アジア最終予選で「主力の衰え&若手が人材難のリオ世代」という選手層に恵まれない状況下で結果を残した。オーストラリア戦での戦い方が全方面から絶賛されていたことは記憶に新しい。要するに、
親善試合の内容=真剣勝負の内容とはならない。

だが、ハリルホジッチ劇場はここで終わってしまった。ご存知のとおり、JFA会長の理不尽により解任されてしまったからだ。
ここからはタラレバ論になってしまうが、ハリルがW杯本戦でも好成績を残していたら、ハッキリと一つの結論が出ていたと思う。それは、親善試合で全力を出さないハリルや森保のやり方は正しいということだ。本来であれば、この答え合わせは昨年のロシアW杯で完了するはずだった。しかし…(ry

僕がツイッターでハリル解任を批判していたのは、これが最大の理由だ。ハリルホジッチのサッカーをW杯で観たかったというのも大きいが、それ以上に、彼が長い年月をかけて取り組んできた「親善試合で全力を出さない」やり方の正否を判定したかったのだ。その結果次第で、日本代表の今後の方針が大きく定まるからである。

あの解任劇のせいで、我々はハリルのやり方が正解だったのかどうかを今も分からずにいる。そして、森保ジャパンの親善試合の結果にため息をつかながらも、「これは真剣勝負で良い成績を残すための布石のはずだ」と信じたいジレンマを抱えている。

 

元を辿れば、このジレンマの元凶はJFA会長だ。繰り返しになるが、彼がハリルを解任したせいで、ハリル流のやり方の是非を判定できなくなり、ハリル流を採る森保一の是非もわからなくなってしまっている。

昨今、ハリルとほぼ同じ状況にある森保一が解任されない理由について、ネット上では「日本人だから」「JFAと森保がコミュニケーションをとれているから」と言った声が見られるが、僕はここに「現状の種を撒いたのがJFA会長自身だから」も付け加えたい。

少なくとも東京五輪は森保体制で行くはずだ。来年、彼に率いられた若き日本代表が東京五輪でどのような戦いを見せてくれるか。我々は、それを見守るしかない。

 

まとめ
繰り返しになるが、森保ジャパンが東京オリンピックカタールW杯で好成績を残せるかなど、僕にはわからない。というか、予言者でもない限りわかるわけがない。それがサッカーというスポーツだ。
しかしながら、森保一が採っている「親善試合の戦い方」は、過去に日本代表が好成績を残した時に採用していたメソッドであり、日本のような中堅国が真剣勝負の勝率を少しでも上げるために必要な、合理的な手段だと僕は捉えている。だから僕は、彼のやり方を支持している。

 

余談 もしも僕が東京オリンピックを観れなかったら
ツイッターで僕をフォローしてくれている人ならご存知かと思うが、僕は今、うつ病に悩まされている。嫌なことや重要度の低いことにかなりの苦痛を感じ、趣味は減り、本当に好きなことをつまらなそうに嗜む(?)日々が続いている。慢性的な自殺願望もあり、実を言うとカタールW杯はおろか来年の東京オリンピックさえ観られるか分からない。
もし仮に僕が東京オリンピックを観られなかった場合、森保ジャパンが好成績を残したら「お前が信じていた通りになったよ」と報告してほしいなと思っている。宛先は…書かないでおこう。
あっ、もしグループリーグで敗退したら、何も報告しなくていいです

ついに心療科に行ったら「うつ病の可能性が高い」と診断された件

太陽が陰り始めた11月初日の昼。僕は駅チカのシャレオツな心療科にいた。


バックストリートボーイズが問う。「Tell me why?♪」
僕は答える。「死にたい気持ちが収まらないからさ♪」

 

心療科デビューとその内容
到着してすぐ、問診票を渡された。50問くらいあっただろうか。ここで格好つけても恋人ができるわけでもないし、正直に回答した。性欲に関する問いにも、「少し落ちている」と真顔で回答した。なんとも言えない項目には、断定を避けた回答をした。

その後2時間ほど待ち、ようやく我が出番がやってきた。やっと私の出番か。いざ参ろうか。と、僕はドヤ顔で個室に侵入した。


医師は、なんの印象もない男性だった。

医師「どうされましたか。」

僕「ぼんやりとした自殺願望が消えないんです。」

医師「いつからですか。」

僕「2ヶ月ほど前からです。」

医師「何か思い当たるきっかけはありますか。」

僕「ピンポイントの原因はありません。ただ、今の仕事や収入に満足していなくて、理想像とかけ離れていることに、だいぶ前から絶望しています。」

医師「転職は考えていますか。」

僕「少し前までは転職活動をしていました。でも最近は転職活動をする気すらありません。」

医師「わかりました。他に何か、以前と異なることはありますか。」

僕「虚無感があります。例えばスポーツを見ているときに、つい『サッカーなんて人がボールを蹴ってるだけじゃないか、ラグビーなんてボールを抱えて突進するだけじゃないか、野球なんてボールを投げて打つだけじゃないか、他のジャンルだと、音楽なんて人が声を発しているだけじゃないか、映画なんて人が書いた脚本に沿って俳優が演技しているだけじゃないか』と考えてしまいます」

医師「それで、趣味も楽しめなくなってきたと。」

僕「そうですね。何が楽しくて生きているのかわかりません。」

医師「問診票も見ましたが、率直に申し上げると、蓮さんはうつ病の可能性があります。気持ちの落ち込みやぼんやりとした自殺願望は結構多くの人に湧き起こるものですが、数日も経てば消えるものです。しかし…蓮さんは2ヶ月もそれが続いていますね。趣味も楽しめなくなったとのことですし、一度の診察で断定はできませんが、可能性は十分にあります。」

僕「やはりそうですか…」

医師「お仕事はどうなさっていますか。」

僕「続けています。」

医師「働けますか。」

僕「はい。なんとか。」

医師「…とりあえず、1週間休みましょう。そして来週また来ていただいて、その時の様子次第でお薬の処方箋と、中期休暇が必要な旨を記した診断書を出します。」

僕「わかりました。ありがとうございました。」

 

とまあ、こんなふうにして僕の心療科デビューは幕を閉じた。なんとなーくわかっていたが、やはり僕はうつ病の可能性が高いらしい。

 

診察後に思ったこと
うつ病ねぇ… まさか俺がねぇ。メンタルの強さを羨ましがられてきた俺がねぇ。いや、イニエスタブッフォンキャリックうつ病になったくらいだし、メンタルの強弱は関係ないか…

でもなぁ… ニコニコ笑顔で働けているし、素敵な女性を見たら心が躍るし、以前ほど楽しめないとはいえ趣味を放棄したわけでもない。なにより、相変わらずツイッターは絶好調だ。(草)

そこで僕の頭を、一つの疑惑が過った。

 

本当にうつ病なのか?
常日頃から気分が落ち込んでおり、死にたい気持ちが無くならず、友人や(少しうざい)人事部のお方から「最近元気ないね」と心配されているのは事実である。
しかし、だ。社会人なんて皆そんなもんだ!と思う人もいるだろう。僕もそう思っていたし、だからこそ異変に気付いてから2ヶ月も、医者にかからなかった。そして診察後にも、本当にうつ病なのか?と医師を疑っていた。(←何様)

 

振り返ればヤハリうつ
しかし今思えば、やはりおかしかったのだ。
かつてないほどに趣味への関心を失ったし、転職活動をできなくなったし、知力も落ちた(気がする)。最近はツイッターで目にしたバズツイートを、一度読んだだけでは理解できないことも多い。本を読むのも遅くなったし、こうして文章を書いていても、大学時代に何人もの教授に称賛された表現力や語彙力を上手く使えなくなっていることに気づく。

 

もっと多彩な語彙を使って上手く表現できることがわかっているのに、それが何故かできない。マジでつらみ。

 

他者とのやり取りを思い出しても結果は同じだ。以前は友人に「蓮大丈夫?」と聞かれて「大丈夫大丈夫!社会人なんて皆死にたいっしょ!ここは自殺大国日本だぜ!HAHAHA〜!」と狂ったように答えていた僕も、最近は我慢の限界を迎えていたのだろう。「全然大丈夫じゃない。消えてしまいたい。」と答えるようになった。

 

先月には、そんな僕を本気で心配してくれた心優しき同僚Nがイタリアンを奢ると言ってくれたのだが、店でも「もっと色々なところに旅行に行きたかった」「もっとサッカーの試合を生で観戦したかった」と言ったような、まるで余命1ヶ月の老人のようなセリフばかり放っていた。(Nには申し訳ないことをしたので、結局割り勘にした。)

よく「うつ病はなかなか自分で気づけない」というが、あれは本当だ。専門家の言うことをナメちゃいけない。そもそもなぜ僕はナメていたのだろう。バカだなぁ。あぁ、またぼんやりとした自殺願望が…………

 

映画「ツレがうつになりまして。
軽い余談になるが、僕が心療科に行くことを決心した理由の一つに、名作映画「ツレがうつになりまして。」の存在が挙げられる。

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この映画は、漫画家の細川貂々氏が実体験を描いたエッセイを、映画化したものだ。主演は堺雅人宮崎あおい。(ねえ、何でiPhone宮崎あおいの変換が一発でできないの?宮崎葵って誰?)


主人公の夫(ツレ)はエリートサラリーマンだったが、ある日突然「死にたい」と言い出した。うつ病と診断され、会社を退職。漫画家の主人公と二人三脚で闘う日々が始まる…という話だ。

この映画の凄いところは、これだけ深刻な事態を軽いタッチで描いていることである。僕は映画しか観ていないが、不思議と重苦しい気持ちにならなかった。(2〜3箇所、うつ病の恐ろしさをリアルに描いた描写がある。そりゃあるよね。だが決してトラウマになるようなものではないので、ご安心を。)

 

批判はある。うつ病の時は退職ではなく休職が良いとか、主人公の周りにいい人しかいないとか、ラストのファンタジー感は不要だとか、宮崎あおいが可愛すぎるとか、色々批判している人がいるが、そんなことはどうでもいいと思う。(ただし1つ目の、退職<休職はガチ。)
しかしこの映画は、うつ病のリアルをわかりやすく描き、「うつはサボりだ」という根性論者の偏見を諭し、僕を心療科へ行かせてくれた。堺雅人宮崎あおい大杉漣ら実力派俳優たちの演技も最高である。紛れもない傑作映画。
是非、多くの人に観てほしい。Netflixにあるよ。

 

追記 心療科、人が多すぎィ!
話は変わるが、心療科デビューで個人的に驚いたのが、人の多さだ。平日の昼間なのに、ロビーの椅子は全て埋まっていた。帰り際に受付の女性に「いつもこんなに混んでいるんですか?」と尋ねたところ「そうですねー。休日はこの倍は混んでいます」とのことだった。

そんなわけあるかい!と思って他のメンタルクリニックを調べたが、どうやらこのクリニックは2週間待ち程度で予約を取れるだけマシなようだ。

 

スッカスカのヘンテコ心療科を舞台にした、奥田英朗氏の傑作コメディ小説「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」を読んでいた僕は、あれは極端な例だと知りつつも、心療科はせいぜい歯医者程度の混み方だろうと予想していた。しかし現実はその何倍も過酷だった。

心を病んでいる人の、なんと多いことか。仲間の多さに安心したような、絶望したような、奇妙な気持ちになった。


僕は以前、「日本は治安が良い? お前は何を言ってるんだ。他殺が少ない分、自殺が多いじゃねえか!」というジョークをネット上で目にしたのを思い出した。
日本の自殺率が世界的に見ても高いのは有名な話だが、実際に現場を見ると、その深刻さに胸が痛くなる。

(ちなみに自殺率ランキングは以下の通り。日本は一位ではない。隣国韓国は日本よりも深刻。https://english.cheerup.jp/article/5223?page=1 )

 

なんだか偉そうに自殺率がどーのこーのと上から目線で書いてきたが、ぶっちゃけ今の僕には他人の心配をしている余裕はないし、日本人に自殺が多い理由を考える余裕もない。この文章だって、あまりに暇で死にたくなってくるから仕方なく書いているのだ。(やけくそ)

 

まあ、うつ病だと思えば仕方あるまい。

 

何はともあれ、1週間は仕事から解放されることが決定した。何もする気にならないが、布団の気持ちいい季節になったことだし、じっくり寝るとしよう。

それにしてもまったく、診断書は偉大である。あの4000円の紙切れ一枚で、労働地獄から解放されるのだから。やほー。

 

終わりに
呑気に書いてきたが、心は荒んでいる。もし本当にうつ病だったら、1週間で良くなるわけがない。前述の「ツレがうつになりまして。」では、医師から半年〜1年かかると言われていた。
1週間というのは、あくまでも様子を見る期間だ。

 

長い道のりである。果たして僕は職務に復帰できるのか、そもそも社会人に復帰できるのか、できなかったら、僕はどうすればいいのか。転職活動すらする気の起きない今、行き先は見つかるのか。言いようのない不安と絶望感をひしひしと感じているが、これは薬を飲めば消えてくれるのだろうか。

 

数年前、大学に入学した時、僕は明るい未来を信じていた。偏差値にして70近い学力があり、文系だが理系科目もそこそこ出来る。人見知りはするが、コミュ力は別に低くない。友人は比較的多い方だ。サッカーのクラブチームでキャプテンを務めた経験もあり、メンタルにも自信があった。
これだけ揃っている自分が、まさかうつ病になって会社を休むことになるとは。あの時は全く想像できなかった。

 

あのころ思い描いていた夢は、遥か遠くに遠ざかってしまった。今僕が歩いているのは、終わりの見えない暗いトンネルだ。


そのトンネルは長く、先が見えない。終点に、以前の活力に満ちた自分が立っているのかすらわからない。そもそも、終点があるのかもわからない。

 

だが、終点があると信じるしかないのだろう。信じることをやめたら、そこで人生という試合が終了してしまうのだから。