昔のサッカーと現代サッカー
バッジョ、リケルメ、アイマール、ロナウジーニョ、小野伸二、etc…
彼らを知る人は多いだろう。彼らは皆、「ファンタジスタ」だ。ファンタジスタを端的に表現すれば、「美しく意外性あるプレーで観客を魅了するスター選手」となるだろう。
彼らがいた頃のサッカー界は、今よりも華があった。
ファンタジスタという人種は、観客を楽しませることを考えながらプレーしていた。そのため、美しいプレーやトリッキーなプレーを頻繁に披露していた。
これが今、滅多に観られない。
今、サッカー界に、「ファンタジスタ」が少ないからだ。イニエスタ、クアレスマ、ネイマール、イスコくらいしか思いつかないのは俺だけだろうか。
なぜこうなったのか。それは、現代サッカーが過度に合理性・効率性を探求したからだと言われている。
すなわち、「勝利への最短ルートを行こう」という考え方が強すぎて、その道を進む途中に華麗なヒールパスをしたりトリッキーなフェイントを使ったりするヤツは「無駄が多い・邪魔」「それいらなくない?」と評価されるようになってしまったのだ。
なお現代サッカーは
・合理性
・データなどを使った知的な戦術
・トレーニング法の革新によりフィジカルが改良されたアスリート型選手たち
によって、史上類を見ない「超ハイレベル」なサッカーになっている。
(この中で無双しているメッシがどれだけヤバい選手か、改めて思い知らされる。)
だが、現代サッカーにはもう少し遊び心があっても良い、美しさを評価する姿勢があっても良いと思うのは俺だけだろうか……?
レベルを高めたいあまり、エンターテイメントとしてのサッカーの側面を蔑ろにしてはいないだろうか。
さらにいえば、現代サッカーはフリーキッカーを軽視しすぎでは?とも考えてしまう。
単に優れたフリーキッカーがいないのだとは思えない。いるのに、フィジカルや走力が劣るから試合に出してもらえないのではないか。(これはあくまでも想像の範疇)
「昔は良かった」という懐古的発想を嫌う俺がこういうことを語るのは意外かもしれない。
だが、「芸術性があり、遊び心があり、カリスマ性があり、見ていて思わず真似したくなるようなプレーを毎試合見ることができた時代」を懐かしむのは、ごく自然なことと思われる。
ちなみに、上にあげた「芸術性〜 」と現代サッカーのアスリート的要素を完璧な比率でハイブリッドしたのが、2006年ドイツW杯だったと考えている。
ファンタジスタが伸び伸びとプレーしていたが、現代サッカーに放り込まれても十分通用する身体能力や戦術レベルの高さがあった。
YouTubeにはこの大会のハイライトが多く掲載されているので、ぜひ見てみてほしい。下の2つはとりあえず俺がパッと探して見つけたもの。これを見れば俺の言いたいことがわかると思う。
フランスvsスペイン
ドイツvsイタリア
だから俺はあの頃を思い出して懐かしんでしまうのである。
ちなみに、日本、いや世界を代表するフリーキッカーである中村俊輔は、かつてこう語っていた。
「世界の流れで10という背番号も、トップ下というポジションも、無くなっているなかで、ファンタジスタっぽい選手がまた絶対必要になってくる時代が僕はもう一回来ると思うので、それにあった選手、そうじゃない選手も、そういう番号を意識して自分の誇りにするのはいいことだと思う」
There is more to life than increasing its speed.
スピードを上げることだけが人生ではない。
マハトマ・ガンジー (インドの思想家、政治家)