hasu-footballのブログ

サッカー関連の記事多め。何かしら得ることのある内容にするつもりです。

リフティングは重視すべきでないと考える理由

リフティングの必要性については昔から議論されたきた。
これについて結論から言ってしまうと、僕は「不要とまでは言わないが、重視すべきものではない」と考えている。ここではその理由を4つ書こうと思う。

 

目次
1、リフティングの動きは実際のサッカーであまり使わない
2、リフティングをする際の状況が非実戦的
3、リフティングが苦手な一流選手もいる
4、稀代の名手がリフティングに否定的な立場をとっている


1、リフティングの動きは実際のサッカーであまり使わない

 

リフティングとは、足の甲でボールを軽く蹴り上げ、低い位置から落ちてきたボールを再び蹴り上げるという動きの繰り返しだ。
実際にサッカーをプレーしたことがある人ならば容易に理解できるだろうが、これらの動きはサッカーでは滅多に使わない。ボールをあんなに軽く蹴ることなど滅多にないし、上に蹴り上げることも滅多にないし、あんなに低い位置から落ちてきたボールをトラップすることも滅多にない。
リフティングの動きは、サッカーの試合で使う動きとは異なるのだ。
言い換えれば、リフティングの動きをサッカーの試合で使うことはまず無いということ。フットサルでは使うかもしれないが、サッカーでは基本的に使わない。

 

2、リフティングをする際の状況が非実戦的


リフティングは多くの場合、狭いスペースで1人で行う。しかしながらサッカーの試合では、広いスペースを走り回りながら、周囲の敵と対峙しながら、ボールを操ることが求められる。
1人で、狭いスペースで、いくらボールを巧く操ることができても、実戦では状況が根本的に異なる。心身にかかる負担や求められる能力に違いがあるのだ。
かつて「日本人選手は練習では世界一上手い」との声を聞いたことがあるが、これも練習と実戦の質の差異が原因だと思う。実戦から程遠い練習は、役に立たないとまでは言わないが、あまり効果的ではないように思える。
そういえば昔、僕のサッカー仲間が「リフティングは自分との戦いだ」と言っていた。自分との戦い。実に聞こえが良いし、実際に崇高な行為だと思う。しかし、サッカーは自分とだけ戦う競技ではない。相手がいて初めて成り立つ対戦型ゲームなのだ。相手の存在が皆無の状況でボールを操ることに、どの程度の価値があるのだろうか。

ちなみに、周りに人がいる状況で、動きながらリフティングをするのは良い練習になると思う。多少なりとも実戦的な動きになるし、精神的にもプレッシャーがかかる。

 

3、リフティングが苦手な一流選手もいる


有名な話だが、元アルゼンチン代表のバティストゥータや元フランス代表のデシャン、同じく元フランス代表のマケレレはリフティングが苦手だった。デシャンに至っては10回も出来なかったそうだ。
こうして見ると昔の選手ばかりだが、2.3年前にはテオ・エルナンデスレアル・マドリード移籍時のセレモニーにおいてリフティングを上手くできずに話題になった。(彼は今季ACミランで大活躍中である)
もちろん、彼らは数少ない例外だと思う。大半の一流サッカー選手はリフティングを普通にこなすことができる。だが少なくとも、「リフティングすらできない選手はプロになれない」との言説は誤りだと言えるだろう。上記のサッカー選手たちはプロ中のプロ、超一流なのだから。

 

4、稀代の名手がリフティングに否定的な立場をとっている


僕は「○○がこう言っているから正しい」という論調を好まない。思考停止に陥っているような気がするからだ。
しかし、今回紹介する「リフティングに対する否定的な意見を公言した選手」は、あまりに大物だ。彼の名はアンドレア・ピルロ。天才的な技術と頭脳を武器に、イタリア代表、ACミランユベントスで中心選手として活躍し続けたレジェンドである。
彼はこう語る。

「ボールとのコンタクトは重要だ。常に、テニスボールでもなんでも、あらゆるものでプレーしよう。僕にとってリフティングは退屈なもので、役に立たない。壁に向かってシュートしたり、止めたり、空に向かって蹴ったりする方がずっとマシだ」

彼はリフティングを「役に立たない」と断言した。具体的な理由は述べられていないが、世界最高のサッカー選手の1人として最前線でプレーし続けた彼の発言には強い説得力がある。
ピルロがリフティングは役に立たないと言ってましたよ」と言うだけで、たいていの指導者はリフティングを強制させられなくなる。それくらいの威力があると思う。

 

以上、僕がリフティングをあまり重要でないと考える理由を4つ挙げた。4に関してはサポート的な役割しか果たしていないが、案外4が最も説得力を備えているのかもしれない。

 

ところで、この文章を読んだ人に勘違いしてほしくないのは、僕はリフティングの上手い人を貶したいわけではないということである。(率直に言って、リフティングの上手い人は凄いと思う。たまにYouTubeでリフティングの動画を鑑賞するが、見ていて惚れ惚れする。)

僕が主張したいことは、
リフティングが下手というだけでサッカー少年の能力や将来性を否定してはいけない
ということである。