hasu-footballのブログ

サッカー関連の記事多め。何かしら得ることのある内容にするつもりです。

米津玄師とGLAYは似ている気がするという話

私事だが、最近米津玄師にハマっている。Lemonはもちろんのこと、orion、LOSER、Flamingo、アイネクライネ、ピースサインあたりも非常に良い。

何が良いかというと、何度か聴くうちに良さがわかる奥の深さとか、サビがカッチョいいことがすぐにわかる親しみやすさの中に斬新さも見え隠れする二元性とか、知的で語彙力・表現力共に豊富な歌詞とか。

精神疾患に苦しめられた過去が、あのような奥深く常人離れしたセンスを培ったのかもしれない。

あとカリスマ性もあるよね。今時の歌手には珍しく。積極的にテレビに出て親しみやすさをアピールする俳優、歌手、アイドルが多い中、それを避けて半分謎の男として活動していることも大きく影響していると思う。かつての大黒摩季的な売り出し方。

 

ところで、最近彼の音楽を聴いていて、昔社会現象を巻き起こした国民的バンドとの親近性を感じた

タイトルでネタバレしているが、それはGLAYである。

10代でも、HOWEVER、誘惑、winter,again、SCREAM(EXILEとの合作)あたりは聴いたことがあるだろう。良曲揃いなので、とりあえず大ヒット曲が網羅されたこのアルバムをTSUTAYAで借りることをお勧めする。

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そんなGLAYの何が良いって、何度か聴くうちに良さがわかる奥の深さとか、サビがカッチョいいことがすぐにわかる親しみやすさの中に斬新さも見え隠れする二元性とか、知的で語彙力・表現力共に豊富な歌詞とか。

あれ? これって米津玄師と同じじゃね?

そう。良いところがだいたい同じなのだ。

もっとも、GLAYの曲を米津玄師が歌っても違和感しかないし、逆も然り。さらに、GLAYの方が歌詞が柔らかい印象。米津玄師はなんというか少し硬派というか、芸術性重視というか。そういった違いはある。

ただ、米津玄師とGLAYを大まかにぼんやりと捉えると、「似てるな」と思わざるを得ない。

米津玄師自身、昔はバンドを結成したりしていたそうで、年齢的にもGLAYを意識している、あるいは影響を受けている可能性はある。作詞作曲を手がけている2人(すなわち米津玄師と、GLAYTAKURO)も、長身で、髪が長く、少し不気味な雰囲気を漂わせていて、似ている。

米津玄師f:id:hasumyon-football:20190201134602j:image GLAYTAKUROf:id:hasumyon-football:20190201134606j:image

さらには、同時期に、素晴らしい才能を持った、社会現象を起こせるほどの天才が存在しているという点でも似ている。

(GLAY…L'Arc〜en〜Ciel

米津玄師…あいみょん)

GLAYラルクは切磋琢磨し合っていた印象があるが、米津玄師とあいみょんがそのような関係になるかはわからない。ただ、お互いに自分たちが今の日本音楽界を引っ張っているという自負はあるだろうし、意識していることは間違いないと思う。聴く側も、「GLAY派かラルク派か」で盛り上がっていたように、今度は「米津派かあいみょん派か」で盛り上がる。

似ているのは音楽性だけでなく、そういった周りの環境もあるかもしれない。

 

最後に

このブログを読んでいる人のほとんどは、米津玄師よりもGLAYの方がよくわからんと思うので、GLAYの代表曲をいくつか載せておく。メロディはもちろんのこと、歌詞にも注目してほしい。多少は「確かに米津玄師と似てるな」と思えるだろう。

 

誘惑

(GLAY2番目のヒット曲。キレッキレで斬新なサビから始まる。20代以上なら必ず聞いたことのある曲だが、10代は果たして…?)https://m.youtube.com/watch?v=fGlDHwlq5SQ

 

 HOWEVER

(GLAYの最高傑作に推す声も多い。何という美しさ、優しさ、知性、迫力カップヌードルのCMで使われていたので聞き覚えのある人も多いだろう)https://m.youtube.com/watch?v=gPcPseeICjs

 

winter,again

(GLAY最大のヒット曲。歌詞が最も米津玄師っぽいのはこの曲。なぜかテレビで紹介される際にサビでない部分を流されることが多いため、意外にサビを聞いたことがない人が多い。)https://m.youtube.com/watch?v=IzqLX_KVK0Q

 

SCREAM

(これは米津玄師が歌っても違和感なさそう。EXILEとのコラボ曲。歌詞もメロディもかっこよすぎてワロタ。この頃のEXILEは良かった)https://m.youtube.com/watch?v=TL7zTlgiJeE

番外編

ビリビリクラッシュメン

(歌詞、メロディの双方が米津玄師っぽい曲という意味ではこれが一番だと思う。俺がGLAYと米津玄師って似てるな、と思ったのもこの曲がきっかけ。メロディも歌詞も全く違うけど、どこか米津玄師のLOSERに近い。歌詞のよくわからなさとかスタイリッシュなサビとか。)

YouTubeには無いのでiTunesで検索してなー

 

今回紹介したのは、あくまでGLAYの大ヒット曲と、米津玄師っぽい曲のみ。他にもいくらでも名曲はある。

GLAYのイメージが変わるほど親近感がわくMVと、イケメンなイントロで有名なSOUL LOVE 

https://m.youtube.com/watch?v=vy7sXRCidX4

とかね。他にも色々ありすぎてここには書かないでおくけど、まあ本当に良曲揃いなんですわ。

 

社会現象を起こすってのはそういうことなのだろう。生半可な才能じゃ起こせない。事務所がゴリ押しすればちょっとしたブームくらいは起こせるが、それ以上上には行けない。

かつてのGLAYと同じように、米津玄師も、今年の活躍次第では社会現象を起こせるかもしれない。もう起こしているのかもしれないが、もっと上を目指せると思う。それこそ、若者から高齢者まで、知らない人がいないレベルまで。

もしかしたらそのうち、「お前米津玄師聴いてないの?マジかよ?まあお前の趣味嗜好は尊重するけど!」なんていう、少し時代を反映した会話が中高で飛び交う日が来るかもしれない。なにせ両者には、似たものがある。

心を病み、奥多摩に行った話

 

※今回はエッセイなので、文学性を出すために一人称を「僕」にしてあります。

目次

1.僕が病んだ経緯

1'.フォロワーさんへの感謝

2.水曜日の奥多摩旅行記

3.海好き、山好き

4.内向的な人へ by内向的な20代男性

 

1.僕が病んだ経緯

今週初め、とあるイベントがあった。僕は参加せざるをえなかった。イベントは苦手なのでなんとなく嫌な予感がしていたが、案の定僕は心を病んでしまった。

何があったかと言うと、イベントの最後に行われた懇親会で、自分のコンプレックスに正面から向き合わされたのである。

これではあまりに抽象的で「ちょっと何言ってるかわかんない」と思うので補足。

僕のコンプレックスは、「内向的なこと」だ。ツイッターにも書いた通り、人に話しかけるのが苦手なので、自分からはリプやDMを送れない。

「嫌がられるんじゃないか」「忙しいのではないか」「無視されたら辛いな」「大した話題もないし」

そんなことを考えてしまうのだ。そうなる可能性は低いと言い聞かせても、どうしてもこの壁を打ち破れない。これはある種、宿命なのだと思う。

この懇親会でも、周りがどんどん見知らぬ人に話しかけているのに、自分はそれが出来ず、話しかけてもらうのを待つだけのAIスピーカー状態になってしまい(我ながら上手いことを言ったと思う)、コンプレックスを嫌というほど痛感したのだ。

孤独を味わったわけではない。色々な人が話しかけてくれた。そして僕も人見知りではないので、会話は普通にできた。「話し相手がいなくて寂しい」時間は合計でも1分程度だったはずだ。終始誰かしらと話していたので、側から見れば、楽しんでいるようにさえ見えただろう。

しかし、心の中で僕は外向的な周囲の人たち内向的な自分を比較して、「どうして自分はこうなのだろう」「こんなんでやっていけるのかな」と思い悩んだ。そして、特にすることがない帰りの東京メトロで、深い絶望の底に落ちてしまったのである。家までの道が普段よりも暗く見え、駅前ではしゃいでいる男女が不快で仕方なかった。(彼らは平素からウザいが)

思うに人は、将来について真剣に考えた結果として疑問や不安を抱くと、あっさり病んでしまうものだ。その疑問や不安の要因が、自分の体質等の「治せないもの」だったりすると、余計に深刻な事になる。

そして帰宅後、僕は、視界に歯車こそ見えなかったものの、芥川龍之介同様に精神状態がかなりマズイことになっていることに気づいた。

いわゆる「将来に対する唯ぼんやりとした不安」を感じたのである。

実際はぼんやりというほどでもなく、もう少し具体的な不安があった。すなわち、このまま内向的に生きていて楽しいのか。苦しむことばかりなのではないか。といった不安である。

ここまで苦しいと人間は1人になりたくなるもので、とりあえずツイッターを休止することにした。

 

1'.フォロワーさんへの感謝

とは言っても、まだ先週からのDMでの会話が残っていたため、返事を待っているフォロワーさんに「しんどいのでしばらく会話を休止します」と伝えて回ってから休止することにした。

するとその間に、DM欄とリプ欄に、心優しい方々からの多くの励ましの言葉が並んだ。

ここに、返事できなかったDMの一部を記載させていただく。(リプは送り主が特定されてしまうので)

「いつも参考にさせてもらってます。 ゆっくり休んでください!」

「待ってます!今度飲みに行きましょう!」

「実は蓮さんのファンです。サッカーのツイートがわかりやすくて、サッカーの見方が変わりました。感謝してもしきれません。」

…本当に嬉しかった。シザーハンズ鑑賞後同様、涙まで出そうになった。会ったこともない人たちからの声でこんなにも心が楽になるなんて、知らなかった。。。

(心が折れる寸前(というかほぼ折れている)状態だったので、何か特筆して伝えたいことがある場合を除き、返事は控えさせてもらった。おそらく返事したのは3人だけ。気力の問題です。申し訳ない。ご理解ください。)

 

フォロワーの皆さんへ。

いつも、こんな若造の、ボヤきのようなツイートに共感していただいて本当にありがとうございます。このアカウントを作った時は、僕の最大の趣味が、見知らぬ誰かの役に立つことになるとは思いもしませんでした。僕のツイートで良ければ、お好きなだけ参考にしてください。これからもよろしくお願いします。

追記: 僕はご覧の通り内向的な人間ですし、出会い厨でもないため、友人でない人を飲みやサッカー観戦に誘うことはできません。もし僕とそういったことをしてみたいという希望があれば、DMで誘ってみてください。都合(意外と忙しいです)や気分(家でダラダラ休みたい時もあります)等の諸条件が合えば、もしかしたら、お誘いに乗るかもしれません。これは日本代表がW杯でベスト4に入るくらいの確率だと思っておいてください。すなわち、確率としては半端なく低いですが、ゼロではありません。

 

2.水曜日の奥多摩旅行記

心が折れた僕は、わずかな気力を振り絞り、普段は行かないようなところに出かけようと思い立った。そう、それくらいの気力はあったのである。(余談だが、人は鬱真っ只中では自殺しないそうだ。自殺をする気力すら無くなるのが理由。本当に危ないのは、少し回復して行動する気力が出てきた頃。今思えば僕はまさにこれだった。生きてるけど。)

行き先としてはじめに浮かんだのは、丸の内だった。おそらく日本で最も美しく整備された街である。ビジネス街なのでカップルのイチャイチャを見てため息をつく心配もない。道が広い割に人通りがそれほど無いので、一人で静かに歩ける。「そうだ、丸の内に行こう」僕はそう思った。

しかし改めて考えてみると、丸の内はともかく、周辺にはカップルの集合場所のような街が集まっている。案外、丸の内に行くまでがしんどいことに気づいてしまった。第一、丸の内に行って何をするのかと言う問題もある。

 

そこで次に考えたのが、奥多摩だ。東京都内にありながら、自然を売りにしている観光地。

とはいえ、奥多摩に何があるのかはよくわからなかったので、その2つ手前の駅にある、ネットでの評価が高い御岳山(みたけさん)に行くことにした。

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最寄り駅はJR青梅線「御嶽」新宿駅から特急を使わずに2時間弱で行ける。

八王子を抜けたあたりから一気に大自然が見えてくる。青梅を超えると、そこはもはや山である。山しか見えない。山が好きな僕には最高の景色であった。

御嶽駅で降りると、そこは東京とは思えない景色。駅のレトロな雰囲気もあって、昭和はおろか大正までタイムスリップしたような気分だった。(褒め言葉です)

駅のホームからの景色(ネットで見つけました。本当にこんな感じです)

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駅前の道路

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そこからはバス。ぼんやりと行動していたので、Suicaを使えたか使えなかったか覚えていない。使ったような気はするけど… (ヤバい)

で、ケーブル下(滝本駅)バス停で降りたら、そこから急な上り坂を5分歩いて、滝本駅に着く。そこから御岳登山鉄道に乗る。ここはSuica使用可だが、結局は切符を買うシステムだった記憶。(これもよく覚えていない。往復切符を買った方が安かったんだっけ)

駅舎はお土産屋も兼ねた小さな、素朴なものだった。平日なので人がほとんどおらず、駅舎の支配人と電車を待ちながらペラペラ話した。何を話したかは、これまたよく覚えていない。ただ、

「なんで今日ここに来たの?」と訊かれて

「山岳同好会の下見です」と嘘をついたことは覚えている。(山岳同好会ならケーブルカーなんて使わないだろ!と自分にツッコんだ)

なにせ普段嘘をつかないものだから、嘘をつくと強烈に頭に記憶されるのだ。

ところで、車窓からの景色が見事だった。この鉄道の傾斜は日本で2番目に急だとか。景色に見とれて写真を撮り忘れたので、ウェブで拾った写真を載せておく←

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さて、終点に着いたら、まずは奥多摩を一望できる広大な広場があるので、そこから絶景を見下ろした。そして、いくつかの散策ルートがあることを知る。帰りのことも考えて、2番目に短いルートを歩くことにした。

これが、案外面白いのである。登山というより、登ったり降りたりしながら静かに散策するという感じだった。だが、結構リアルな山登り感があるのだ。

こんな感じ。素敵でしょ?

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大自然を1人黙々と歩いているうちに、自分の存在も、その身体のほんの一部である脳で生み出される悩みも、小さく感じられてきた。

ところどころ危険な場所もあって、そこで慎重に歩を進める自分を客観的に見て「ああ、俺はまだ死にたくないんだな」と笑ってしまったりもした。(周りに誰もいなかったのでセーフ)

山頂付近にある神社にも寄って、そこからの絶景も拝んだ。

心が浄化された気分のまま、帰りのガラガラの青梅線に乗り、無事帰宅した。この記憶を薄れさせないよう、スマホもいじらず本も読まず、すぐに寝た。

 

「自分探しの旅」というと、海外や北海道、あるいは四国あたりに足を運ぶイメージがある。だが、東京都内でも、それは可能だと思う。なにせ山に入ってしまえば、360度自然だ。車の走る音すら聞こえない。ゆえに北海道か東京か、区別がつかないのだ。

東京の山というと高尾山が有名だ。しかし思うに、高尾山は人が多すぎる。登りやすいし観光地としても秀逸なので仕方ないことだが、「一人で自然と向き合いながら歩きたい」人には不向きだと思う。

その意味で、御岳山は最適だ。もちろん有名な山なので、行楽シーズンや休日は混むはずだ。なるべく平日に行った方がいい。平日に行けば、都心からわずか2時間のところに広がる、しかし都会の喧騒からは無縁な、美しい異世界を存分に味わえることだろう。

 

余談だが、別に1人で行くことにこだわる必要はないと思う。山の場合、遭難や転落等の事故があった時のことを考えて、2人以上で行った方がいいという意見もある。

なので、「親しい人と二人きりで、自然の中で話す」ために行くのもアリだと思う。

 

3.海好き、山好き

海と山は何が違うか。(僕が海嫌いだということを念頭に置いてお読みください)

海には必ずと言っていいほど知性のかけらもない人間が来る。彼らはワーワー騒いでナンパに勤しんでいる。大半の人はそうではないが、ある程度それを覚悟した上で来ているように見える。おそらく、それほど不快に思わない人が多いのだろう。というかそれ以上に、海ではしゃぐ事が楽しいのだろう。

一方、山にはそもそも、そういった迷惑な輩が来ることはまずない。なぜなら山は地味だし、基本的には歩くだけだし、若者はあまり来ないし、気温が低い&虫が出るから男性も女性も厚着だし、傾斜地ゆえに騒ぐスペースもないからだ。山に来る人は、日常生活で会わざるを得ない喧しいパリピからの避難のために、山に来ているのではないか。そんな事心から思うほどに、海にいるような輩がいない。

海と山、それぞれが備える特性は異なり、その違いが、来る人の特性の違いにも影響しているように思える。

そして、僕は山が大好きだ。

同時に、

外向的人間は海を愛し、自分のような内向的人間は山を愛する。とも思った。

高いコミュニケーション能力を活かして、皆と体を動かしてはしゃぐのが好きな人は海を、繊細な感受性で世界を受容し、1人あるいは少人数で静かにそれを味わって楽しむのが好きな人は山を、それぞれ愛する、そんな気がした。

 

4.内向的な人へ by20代前半男性

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日本は四方を海に囲まれた島国であると同時に、国土の大半が山地の"山岳国家"でもある。

同じように、外向的な日本人もいれば、内向的な日本人もいるだろう。

だから、内向的な人は「自分は少数派だ」と思い込んで無理して外向的になる必要はない。外向的になれないと悩まなくてもいい。内向的でもいいのだ。同じような人はいくらでもいる。皆が外向的なはずがない。第一、そんな国があったら逆にヤバいよね。恥じることはない。

とはいえもちろん、社会は外向的な人間が生きやすくできているので、嫌でも外向的に振る舞わなければならない場面は多いだろう。そして、根が内向的な人はその度に苦しむだろう。理屈ではわかっていても。僕のように。ではそんな時、どうすればいいか。

僕は今回の小旅行を経て、少し悟った気分になり、思った。

内向的であることを責めたりせず、内向的だからこそ持っている良さがあることを自覚して生きていくのがベストだと。メンタリストのDaiGoも書いていたが、内向的な人は、外向的な人には無い武器をいくつも持っている。内向的=悪ではないのだ。

 

ここまで書いてきたことをわかりやすくまとめるとこうなる。

海を好きになる(=自分を無理に外向的人間にする)必要はない。だが時には、周りに合わせて海が好きなふりをして、海ではしゃぐ(=外向的に振る舞う)必要もあるだろう。そして、それが苦しい人は多いだろう。しかしそんな時も、自分には山を愛せる能力(=内向的ゆえの強み)があることを思い出し、それを誇りに思っていれば、それでいいのだと思う。

※1時間足らずでババっと書いたので、少しわかりづらいかもしれない。もう少しわかりやすく書こうと思えば書けるだろうが、パッと浮かんだことを感覚的に書いたらこうなってしまったわけで、それをそのまま書いた方が伝わるような気がした。

 

今度は精神状態がいい時に、また山に行きたいな。その時、山はどう見えるだろう。僕は何を感じるだろう。

 

山に登るというのは、あれは、自分の内部に眠っている鉱脈を捜しに行く行為なのかも知れない。

夢枕獏 (日本の小説家)

サッカーは理論と戦術が全てだと思ったら大間違いなのは当たり前だのクラッキ。

 

いきなりステーキだが、「サッカーは理論や戦術が全てではない」と思っている。冗談はよしこちゃんと思った人もいるかもいるかもしれないが、まあそう言わず先を読んでっちょ!

もちろん理論や戦術がベースになければ精神論主体で戦うことになり、それは昨年の柏レイソルのような結果をもたらす。だが、理論や戦術だけではいけないのだ。

 

具体例としてわかりやすいのは、アジアカップ2011カタール戦の伊野波の決勝ゴール。

https://m.youtube.com/watch?v=gWVUUHP3vfY

お分かりいただけただろうか。「伊野波は何ゆえ前線へ!?」と笑ってしまう謎ゴールなのである。

長谷部誠が言うには、当時ザッケローニは伊野波に「後ろで守備をしてくれ。攻撃には参加しないこと。」と指示をしてから投入したそうだ。

だが伊野波はそうしなかった。野生の感覚か自分なりに考えた結果かはさておき、独断で攻撃参加し、決勝ゴール。

きっとカタールも、そんなバナナ、あっと驚く為五郎だっただろう。

そしてザッケローニは複雑な気持ちだっただろう。笑

 

他にも、アジアカップ2019ではカタールのアクラム・アフィフが変則的な動きを繰り返し、日本代表を苦しめた。毎日のように一緒に練習しているカタールのことだから、彼の動きは事前に綿密に考えた上でのものだったかもしれない。

だが、あの動き全てが理論通りだとは到底思えない。ある程度は彼の独断での動きだろう。

 

実は、伊野波やアフィフのように、監督が考えた理論や戦術にとらわれない選手は、味方にとって「なんやアイツ???」かもしれないが、相手にとっても「ちょっとタンマ、なんやコイツ???」なのである。

状況に合わせて、戦術や決まりごとを無視して不規則な動きをする選手がいた方が、相手にとっては厄介である。

だって、せっかく「相手の攻撃パターンがわかった!」と思って喜んでたら、そのパターンから外れて変な動きをする選手がいるんだぜ。

きしょいキボンヌナンジャラホイ。

勘弁してくださいよ〜 (声:出川哲朗) だろう。

ディフェンダーの俺にしてみても、ハッキリ言って、「マジキモいアル」なのである。

 

そういう、自分で考えて動ける人材は、学校教育やビジネスの世界だけでなく、サッカー界でも重要だと思う。

監督の理論や戦術通りに動くだけなら、極端な話、ロボットでもできる。

(ちなみに選手に"戦術遂行ロボット"のごとく動くことを求めることで有名なのが、元オランダ代表監督のファン・ハール)

 

本題に戻るが、残念ながら、サッカー選手に限らず、日本人はこれが苦手だと言われている。すなわち、ルール(理論や戦術)を上から指示されると、それをどんな状況でも頑なに守ろうとするのだ。

言い換えれば、状況に合わせてルールを破ったりオリジナルの動きをしたりしようとしない。

そんなことをしたら怒られるかも…? という恐怖からだろうか。幼い頃から「オリジナリティ」よりも「和」が重要と教え込まれ、同調圧力をかけられ、違反した際は怒られて、成長してきたからだろうか。

アイムソーリーヒゲソーリーで乗り切れないのが日本人なのであろうか。

 

実はハリルジャパンの問題点もそれだった。海外メディアだっただろうか?誰が指摘していたか覚えていないが、「日本人選手はハリル氏の戦術を守ろうと固くなり、自分のアイデアや意外性を封じ込めている」みたいなことを言われていた。(そもそも意外性あるプレーができる選手がいたのかどうかはさておき)

ハリルという男、海外では成功してきた。それは海外の選手が、ハリルホジッチの指示を、場合に応じて適度に無視しながら、自分で考えてプレーしてきたからだろう。

海外の選手は、上を絶対的に敬う儒教の思想がないからだろうか。良くも悪くも上の人間の指示を冷静に捉えて、絶対視しないのだ。自分のアイデアやフィーリングを大切にしている。

だからこそ、堅実なハリルサッカーに独創性や意外性も加わり、結果を残せてきた。そして現在も、ハリルはナントで大躍進を見せている。

 

日本人にはこれができなかった。「ハリルが怖いからだ」「逆らうことを認めなかったからだ」と言うアンチハリルもいるが、本当にハリルがファン・ハールのように「戦術や指示に背いたら怒るタイプ」だったとしたら、なぜ日本代表以外のチームの選手たちは、伸び伸びとプレーできているのだろうか。ハリルをあんなにも尊敬してやまないのだろうか。

整合性がとれないのでは?

 

単に日本人選手が、状況に応じて自分で考えて、最適なプレー、相手を欺く意外性あるプレー、不規則な動き等をできなかった、する勇気が無かっただけでは…? と思うのは俺だけだろうか。

 

そもそも代表チームにおいて、戦術でがんじがらめに縛るのは無理がある。そんなに戦術確認をする時間などないのだから、ある程度は選手の独創性に任せなければいけない。当時の日本代表には、それができる選手が少なかったのではないだろうか、そんな気がしてならない。

 

なお、オーストラリア戦で井手口陽介が決めたゴールは、「戦術を気にしない動き」からのゴールだったと思う。https://m.youtube.com/watch?v=DdCfSGaTBBs

パスの選択肢がいくつもある中で独走してミドルシュート。それまでの井手口のプレーを見ていればわかることだが、ハリルはあの試合で、彼にミドルシュートを打つことなど求めていなかった。どちらかといえば中盤でボールを奪いまくることを期待していた印象がある。

加えて、負けているならともかく勝っていたこともあるし、何もここで無理にミドルを打たなくても… 無難に大迫にパスした方がいいかも…とか、そういったことが井手口の頭をよぎっただろう。

だが井手口はミドルシュートを選んだ。ハリルにとっても「おお… ドリブラーでもないのに一人でドリブルするか… ミドル打つか…」くらいの印象だったかもしれない。だが彼はゴールを大いに喜んだ。

(大喜びの表情の中に少し驚きの要素が含まれているのは、ハリルにとってこのゴールが想定外だったかもしれない。事実、THE・戦術的ゴールだった浅野の1点目ではそこまで喜んでいなかった)

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あの、オーストラリア守備陣が対処に手こずった井手口の単独プレーが、ハリルの指示通りだったとは思えない。イケイケのカウンターでの事だし、ほぼ井手口の独断だろう。素晴らしいゴールだ。忘れないでいてくれたらマンモスうれぴー。

 

グアルディオラ登場以降、戦術論至上主義的な流れになっている現代サッカー。そんな時代だからこそ、逆に、理論や戦術を度外視したオリジナリティ溢れるプレーが、相手にとって脅威になる事が多いのではないだろうか。

詳しい人ほど「戦術論を語るのはナウい」と思っている印象がある。もちろん戦術論を語ることは大切だし、語れる人はカッコいい。たまに見当違いのもあるけど。

だが、サッカーは戦術が全てではないのだ。そんなに理論通りに上手くいくスポーツではない。サッカーをプレーしたことがある人ならわかるだろう。理論や戦術がしっかりしていればしているほど勝てる確率は上がるだろうが、それだけで勝てるわけではないのだ。試合によっては、理論・戦術通りに行く場面の方が少ないなんてことも多い。

 

それに、戦術通りに堅くプレーしていても上手くいかないことは、日本代表を見ていればわかる。結局、日本代表を勝利に導いたのは、泥臭い個人技だった。

アメリカンフットボールは戦術通りに動くことを求められる競技(だそう)だ。それはそれで分析がしやすいし、理論的で面白い。

だが、サッカーはそうではない。

理論をベースにしながらも、状況に合わせて野生の感覚や頭脳を使って、時々理論を無視したプレーをする。この即興の閃きが、チーム力を高めるのみならず、サッカーをより一層魅力的に、奥深いものにするように思えてならない。

 

 

「人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない。」

「ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ。」

「サッカーに最も必要なのはアイデアだ。アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」

「サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ」

「ひとりで試合を変えられる選手たちの時代が、これからやって来るかもしれない。今日もそういう選手は存在し、チームは彼らを必要としている。あらゆる大会が明らかにしているのは、そういう選手を持たないチームは、絶対に優勝できないということだ。」

イビチャ・オシム (元日本代表監督)

オシム語録の引用元: https://grapefruitmoon.info/イビチャ・オシム.html
 

 

論理にまつわるエトセトラ 〜蓮が大学時代に討論で一度も勝てなかった男の話〜

 

はじめに

「論理的」とは何か。塾でアルバイトをしていた頃、生徒たちに「論理的な文章を書くこと」と指導してきた。すると大半の生徒は「論理的って何ですか?」と訊く。俺はこう説明していた。

対中学生「周りから、それはおかしくない? それは無理があるんじゃない? と突っ込まれないこと。」

対高校生「因果関係(原因と結果の繋がり)がしっかりしていて、無理がないこと。」

 

本題1

大学3年生の秋、俺は英会話の授業を受講した。

てっきりネイティブ講師と話せるものだと思っていたが、実際は同レベルの英語力を持つ学生と英語で討論するというものだった。

討論のテーマはさほど難解でなく、ある程度の知識を持った状態で臨めた。内容は例えば「多くの外国人旅行客を日本に呼ぶには何を変えていく必要があるか。社会システムの観点から論じ、討論せよ」とか、そんな感じ。

 

そこで、俺は関西出身のNという学生とペアになった。いかにも切れ者といった風貌だが、いつもニコニコしていて人柄も良く、相手を気遣える男だったため、授業自体は非常に楽しかった。

 

しかし同時にこの授業は、屈辱の時間でもあった。

何を隠そう、討論で彼に一度も勝てなかった。言い方を変えれば、毎回論破されたのだ。もちろん英語で。

 

何を言っても論理的に反論される。さすがにこの主張には反論できないだろう笑と思っていたら、反論される。それも屁理屈ではなく筋が通った反論だ。逆に彼の主張には、屁理屈をこねる隙すら無かった。

その背景に恐るべき頭の回転の速さ、論理的思考力があり、さらに大前提として驚異的な知識量があるだろうことはすぐにわかった。

 

挙げ句の果てに、Nは俺がどのような理屈で主張を組み立てるかを先読みし、俺が話している途中に「Maybe you would say ~~~~~~~~~ , isn’t it? I knew it. I expected you should say so someday. I think such a logic has some problems…」とか言い出す始末だった。

(日本語訳) 「多分君は〜と言うつもりだろう? やっぱりね。いつか君はそう言うだろうなと思ってた。思うに、その理屈には問題点があってね…」

何度かこの予測が外れていたこともあり、その時は「No~ this time you took a mistake!」(日本語訳)「違うよ〜今回は君が間違えたね!」といって2人で笑いあったなぁ。(ちょっとあいみょんっぽい語尾)

 

正直、敵わないな、と感じた。

毎回のように

「OK, you are winner.」と言って彼の満足げな表情を見ていたのを思い出す。

もし俺が米津玄師なら「アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう」と歌ったかもしれない。知らんけど。

ともかく、人生で初めて、心から敗北を認めた瞬間だった。自信のあるはずの論理力でボロ負けしたのだ。

上には上がいることくらい知っていたが、東大の友人が何人かおり、高校時代から彼らと互角の討論をしてきた分、ここまで手も足も出ない同年代の人間に出会ったのは初めてで、ショックを受けた。

日本代表がブラジル代表と対戦するたびに感じる、あの「絶対勝てないわコレ」感に近かった。

 

ところで、1月の最終授業の後、2人とも次の予定がなかったので一緒に高田馬場まで歩いた。そこで俺は彼に言った。

「討論強いね。勝てる気がしなかったわ〜」

彼は関西弁で答えた。

「うーん、実は僕なぁ、弁論サークルみたいなところで代表者やってんねん。笑笑」

 

…なるほど。そりゃ敵わないわけだ。情けない話だが、少し気が楽になったことは認めよう。

ボロ負けした相手が実はめちゃくちゃ強敵だったとわかった時の、謎の安堵感。

 

そんな彼は、自分の論理の型を持ち、さらに相手の型を先読みし、それに合わせて柔軟にやり方を変える。

突然だが、これはサッカーにも当てはまるような気がする。

現代サッカーでは対戦相手に合わせて試合途中からでも戦い方を変えなければならない。理論だけでは戦えないのだ。

彼はどちらも天才的に巧みだった。きっとサッカーに理解があれば良い監督になっていただろうな、と思ってしまったのが懐かしい。

 

本題2

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路駐がやたらと多い冬の新宿の空の下、彼がペラペラと語ったことの中に、印象深いものがある。(俺は自分がどう相槌を打ったかあまり覚えていないが、うろ覚えの範疇で一応会話形式にしておく。)

N「僕なぁ、討論でやたらと感情論で反論してくる人がおるやんか、ああいうのが一番嫌やねん。ザ・反知性主義というか。」

蓮「そうなの?俺の周りにはあんまりいないなぁ… どんな感じ?」

N「自分が論破されたことに気づけないほどのバカよ。酷いもんよ〜。だって論破して勝ったと思っても噛み付いてくるんやから。ある意味無敵やけど、惨めなもんよな。」

蓮「それはヤバイね。まあ俺も時々論破されたことに気づけないことはあるけど。さすがに感情論で噛みつきはしないなぁ… うん。多分。」

N「多少なりとも論理的に考えられる人なら「自分の論理力が足りないな、もっと鍛えなきゃな」と思えるんやろうけど、それができない輩はまず自分の論理力の無さに気づけないから、延々感情論で噛み付いてくるんや。本当に厄介の極みやで。うちの大学にはさすがにおらんけど。」

蓮「さすがにね。酒に酔ってたら話は別だけどね笑」

(中略)

N「あと、そこまでアホやなくても、論理で勝てない思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴も厄介な。」

蓮「別に感情論が完全悪とは思わないけどなー。感情論抜きで物事を考えるとトンチンカンになることもあるとは思う。なにせ人はある程度感情で動くからね。」

N「それはそうよ。感情論をガン無視するのは経済学でも時代遅れなんやっけ? そりゃあ人間なんやから感情論も大事だわな。」

N「ただな、だからといって感情論を認めてまうと、論理なんてハナから不要になると思うんや。それって反知性主義やん。蓮くんはそう思わん?そんなんじゃバカな国になるで〜ホンマ。」

蓮「反知性主義は俺も嫌だな。もう古いよね。ところで昼どうする? 馬場の近くのサイゼでも行く?」 (これだけはハッキリと覚えている)

 

当時、俺の周りには感情論で反論してくるような人間がいなかったので、その後も「へぇーそうなんだ」「頭が良すぎると大変だなあ笑」とか笑いながら返していた覚えがある。

だが、今の俺にはよくわかる。

なぜかはツイッターを見ていればわかるだろう。

 

もちろん、これはNも賛同したことだが、感情論を完全に排除するのは危険だ。時に論理よりも感情の方が正しいことがあるのも事実だし、それに、大衆は論理ではなく感情で動く性質がある。このせいで経済学の理論が上手くいかないとも言われている。

(上から目線で書いている俺も、理屈では"親善試合の結果で一喜一憂するのは愚かだ"とわかっていても、やはり感情は暗くなる。所詮、人間はそういうものだ)

 

だが、感情論主体に物事を考えるのは間違いだろう。それで良い結果につながることなどない。日本社会の有様を見ていればわかる。根拠も意味もない感覚的な発想やマナーや慣習に一般市民が悩み、近年になってようやく、データを用いて論理的・合理的に考える欧米のやり方を取り入れようと必死になっている。これまでどれだけの損失をしてきたか、考えたくもない。

 

サッカー界でもそうだ。

論理的に、システマチックにサッカーを語れる戸田和幸氏のような解説者が、徐々に力を持ち始めている。(無論いまだに感情論しか語れない解説者もいる。一応彼らがネタにされる時代になりつつあるが、一方でそんな人間がNHKのメイン解説者だったり、JFAの上の方にいたりするのも事実だったりする。そんな人間たちが論理バリバリの欧米人と上手くやっていけるわけがない。だからJFAオールジャパンにこだわっているのではないかと思ったりする。)

 

話が脱線したが、俺が言いたいのは、

せめて、Nの言うところの「論理で勝てないな思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴」くらいにはなっておきたいよね、ということ。俺はもう、この水準には到達していると思う。なにせ初めから感情論で考えるようなことはしていないので。ただ、これを超えているかはわからない。()

Nも、俺が

1.討論でやたらと感情論で反論してくる、自分が論破されたことに気づけないほどのバカ

2.論理で勝てない思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴

3.感情論を使わず、論理でのみ勝負する人

なのかは言わなかった。俺が「感情論も時には必要では?」と言ったことも影響しているのかもしれない。

 

また話が脱線したが、もう一つ言いたいのは、「自分の論理力が足りないな、もっと鍛えなきゃな」と、常に謙虚に考え、努力しよう。ということ。

何度も書いたが、感情論が必要な時もある。論理だけで考えるとへんてこりんな結論に至ってしまうこともあり、そう言う時は「なんとなく〜」「〜が良さそう」「ワイの経験に基けば〜」といった発想に救われることも多い。

だが、ベースは論理で行った方がいい。論理力を鍛えておいて損はない。あまり固執すると俺のように「日常会話まで論理的でイライラする」と女性から言われてしまうリスクもあるので注意が必要だが、だからといって「感情論でいいやー」ではいけないのだ。

真面目な話になった際に論理的に話せない人は、(相手がシビアな人間だと)相手にすらされない。さらに、論理的に物事を語れない人は、大学のレポートや試験で苦労する。(まあ大半の文系学部なら甘く見てもらえるだろうけど。笑)

 

 

上には上がいる。俺も、どれだけ努力してもNを超えられる自信はない。

だが、少なくとも、努力し、論理的に物事を考えようと意識していれば、感情論主体で物事を考えるあまり時代に合わないトンチンカンなことを言い出してしまう、近年の日本によく見られる見苦しい人間にはならなくて済むはずだ。

 

All opinions are not equal. Some are a very great deal more robust, sophisticated and well supported in logic and argument than others.

(日本語訳) 全ての意見が平等ではない。いくつかの意見は論理と論拠に関して他に比べてはるかに頑丈で、洗練されており、はっきりとした根拠がある。

ドウグラス・アダムス (イギリスの脚本家。代表作に、大人気SFシリーズ「銀河ヒッチハイクガイド」がある。)

Jリーグファンに求められるもの

序文

ツイッターにも書いたが、「三浦大知のファンはみな優しい」というツイートが広まって以降、三浦大知に対するイメージが良くなった人は多いと思う。

ファンのイメージは大切。ヤバいコンテンツにはヤバいファンが集まるし、優しくて気品溢れるコンテンツにはそういうファンが集まる。それは大体正しいし、筋が通っている。人は似たような物や人に惹かれるので。

 

本文

Jリーグのチームに関して何か批判的なことを書くと、そのチームのファンから何かしらの反応が得られる。

内容が完璧ならば特に問題ないが、

内容に瑕疵があった際に、反応が3つに分かれる。

1、「その発想はなかった、一理ある」と超好意的に受け止めてくれる、器のデカいファン

2、「いいえ、〜なので…だと思います」と論理的に間違いを指摘してくれる冷静なファン

3、「うるせえよ」「関係ないやつは黙ってろ!」「草」「🤔🤔🤔(←これ本当に殺意わくからやめてほしい)」と言った風に喧嘩を売る攻撃的なファン

 

なんとなくお分かりかと思うが、問題なのは3だ。1と2は何も問題ない。素晴らしいと思いますハイ。

3はさ、俺が3000人以上のフォロワーを抱えて偉そうにあーだこーだ言っているくせに間違ったことを言ったから、喧嘩を売っている

のなら、まだいいよ。(ブロックするけどな。そういう人間大嫌いだから。)

彼らの人間性を見るに、おそらく、ライト層・ミーハーが似たような間違いを犯した際も、同じように噛み付く可能性が高いんだよな。

これは最of悪だ。

 

ライト層が正しい知識を持っていないのは当然だ。初めから正しい知識だけ持って完璧な理論を展開している人間などいないだろう。

ある程度詳しい側は、彼らに知識を教えてあげなければいけないのだ。紳士的に。野蛮な教え方じゃダメよ。上司によるパワハラも同然。誰も感謝なんかしないし、恨まれるだけ。

(未だに、喧嘩っ早い俺らカッコいい と思っている若造がちらほら見受けられるが、果たして自分たちの愛するチームは「喧嘩っ早いサポーターがいるチーム」として有名になりたいだろうか? ヒール役に徹したいだろうか? よく考えてみなさーい! もしかしたら、君らの暴走を迷惑に思ってるかもよ? 知らんけど。)

 

もちろん、選手を貶されたり、悪質な罵詈雑言(○○弱すぎワロタ 降格しろ!とか)を吐かれたりしたらイラっとするだろう。だがそういう場合も紳士的に対応したほうがいい。なぜなら、そういう輩を相手にした貴方のリプも、大衆の目に触れるからだ。

「選手をけなしたコイツもクズだけど、それにマジギレしてる○○サポのコイツもヤバイな。品性のかけらもない。ガラ悪すぎ。このチームのファンってなんかヤバそう」

そう思われないといい切れるだろうか。

 

言っておくが、ライト層というのはJリーグに本当に薄い石鹸のような感心しか持っていない。ゆえに彼らは、

ヤバいファンはほんの一部に過ぎないのか、それともヤバイ奴だらけなのかがわからない。

なので、SNSで暴走しているファンを見ると、一気にそのチーム全体へのマイナスイメージに繋がる恐れがある。関心が薄い石鹸のようにすり減っていくのである。(B’z)

 

だからこそ、チームに詳しい側は、紳士的に対応しなければならないと思う。

良い行為よりも悪い行為の方が目立つのが人間社会だ。それは誰でもわかるだろう。普段客を全力でもてなしている店が、たった一度やる気のないバイトのせいで酷いサービスを提供すれば、その店への印象は一気に悪化する。

同じように、99人のファンが品位ある善行をしていても、1人が品のない悪行をすれば、そのチームのイメージが悪くなる。残念ながら。

「別にファンが増えてほしいとか思ってないし!俺とチームさえあれば良い!」とほざく捻くれ者もいるだろう。だが、愛するチームが日本中から嫌われてほしいと思う人間は流石にいないはずだ。ならば、その1人にならないようにしよう。周りもやっているから〜理論は通用しない。チームに迷惑をかけるようなファンは1人でも少ない方が良いからだ。

 

結論

世は「大SNS時代」。ツイッターで、チームを特定できるプロフィールを設定した上で品性下劣な行為をしている人間は、愛するクラブに多大なご迷惑をおかけすることになってしまうだろう。「なんかうちのチーム、サッカーに興味ない人からもめっちゃ嫌われてるやん!なんで!?  あっ!アイツがツイッターで喧嘩売りまくってたからや!」なーんて言われても知らないぜ。ファンはチームの看板を背負っていることを忘れずに。(じゃあチームに迷惑をかけないよう裏垢で攻撃したろ!と思った奴、発想は悪くないがそれはそれでクズだぜ)

それから、「SNSで暴れるくらい〜」というのはアホのいうこと。10年前を生きてるんですか?ってレベル。言っとくけど、スタジアムで声を張り上げてチームを応援する行為よりも、SNSで気にくわない人間に罵詈雑言を浴びせる行為の方がよっぽど目立つし、影響力あるからな。

サポーターという巨大な生き物の中の1人か、SNSでの孤立した1人かの違いは大きい。

それに、スタジアムで全力で応援していても他サポは興味ゼロだ。しかしSNSで罵詈雑言を飛ばす奴には敏感に反応する。SNSでの行為の方が影響力は大きい。

当たり前のことだが、チームのファンになる際の試験など無い。「お前は人間性に問題があるからうちのファン不合格!二度と関わるな!」なんて、言えない。

だからこそ、ファンの中で自浄していくしかないのだと思う。問題性のあるファンが自ら悔い改めれば苦労はないが、それはあまり期待できない。攻撃的な性格は生来のものだからである。本人がかなり努力しなければならないだろう。それよりも、ふざけた人間がいたら周りが咎める、被害にあった人に代わりに謝る、そういった後始末をファン全体でしていくことが大切なのではないだろうか、そうすればチームのイメージ悪化は最小限で済む。そう思った。

 

追記

Jリーグって、ファンが1と2ばかりのチームと、3がやたら多いチームとに綺麗に分かれるんですよね。具体的なチーム名をあげるのはやめておくけど、本当にクラブ間の格差が大きい。

ところで、f:id:hasumyon-football:20190129234259j:image

地域の民度? 教育レベル? ゆがんだ地元愛? 都会か田舎か? それとも、サポーター伝統の性格?

答えは出ていない。とにかく、3が多いチームは応援する気になどなれないし、それは俺に限った話ではないと思う。喧嘩っ早いサポーターが多いチームが好き! なんて人、4〜50年前ならともかく、今の時代少ないぜ。

彼らがSNSでやってることはパワハラに近い。時代遅れそのもの。気づかないうちにどんどんチームのアンチを増やしている。

 

まあ、今更気づいても後の祭りとでも言いましょうか。一度失ったイメージは簡単には戻ってきません。和民を見ればわかるでしょう。あれだけ労働環境を改善したのに、未だにブラック企業のレッテルは剥がれていませんよね。

近年レベルが上がっているJリーグが未だにバカにされたり、守備力を高めた槙野が未だに「守備力が低い。攻撃力だけ」と言われているのを見ればわかるでしょう。情報をアップデートしない人間が多いんですよ。特に興味のないコンテンツに対してはなおさら。

例えば、Jリーグファンの間では「あのチームのファン、昔はガラ悪かったけど、今はおとなしいよね」と言われていても、Jリーグに対する興味の薄い一般人は「○○?ああ、あのどうしようもないファンが多いチームね?」くらいの認識だ。

 

Jリーグのチームは、これから悪質なサポーターを徹底的に減らしていくことに力を入れていくしかないと思う。民度が低いことはまぎれもない「恥」だからね。アジアカップで他国のサポーターの行為を低民度だとバカにしている人が大勢いらっしゃったけど、あなたの周りにも結構いるんですよ。今度探してみてください。

 

こう言った行為は、チームはおろか、地域全体のイメージ低下にも繋がる。なにせJリーグって地域密着型だから。

せいぜい、袒裼裸裎しないようにしましょうね。ふふっ。

ベトナム戦の北川航也批判について。

ベトナム戦の北川航也について。

昨日彼が置かれた状況と、彼に対する批判を簡単に検証する。

 

まず、昨日彼が置かれていた状況について。

普段ドウグラスとの2トップで試合に出ているのに、人手不足のためにアジア杯で突然1トップ起用された北川の立場に立ってみよう。

慣れないポジションでいきなり真剣勝負に放り込まれる恐怖はお分かりだろうか?

視界も、周りとの連携も、動き方も変わってしまう。これはこの経験をした者にしかわからないかもしれない。

いくらノウハウを教えてもらっても、相手の戦術や試合状況次第でやるべきことはコロコロ変わるので、簡単には適応できない。ほんとうに大変。ましてや日本を背負って戦う真剣勝負。本人は呑気にインタビューに答えているが、プレッシャーは相当なものだろう。

オマーン戦では南野とのツートップだったので、北川のワントップは実質昨日が初めて。

※勘違いしている人が多いが、日本代表の現在の序列はこんな感じ。

ワントップ…1大迫、2小林、3浅野、4杉本、5鈴木、6武藤

セカンドトップ…1南野、2北川、3香川、4鎌田

まあ要するに、香川と同じポジションが得意な北川が、人手不足ゆえに大迫と同じポジションで起用されたってわけ。キッツイわな。

 

彼に対する批判その1

「ポジションが普段と違うことを言い訳にするな!」

これはハッキリ言って、論外。1つのポジションで良い動きをできるようになるだけでも大変なのに、複数のポジションで(ry  

サッカーは難しい。だから色々なポジションをこなせるミルナーみたいな選手が貴重なんでしょう。サッカーを甘く見ていることがよくわかるネ。

また、他に多かったのは、そもそも北川がワントップの選手だと勘違いしている人・本来セカンドトップであることを考慮していない人だ。

これは単なる知識不足と、物事を多面的に考える能力の欠如だろう。あるいは初めから彼を批判する姿勢で試合を観ているから、都合の悪いことは知らないふりをしているのか。

 

その2

ポストプレー(ボールを収めて攻撃の起点になること)くらいできないと…」

これは正論だが、正論も状況によっては使えない。すなわち、今大会の北川にそれを求めるのは厳しすぎるのだ。

というのも、普段彼はポストプレーをしていない。それ自体の是非はさておき、普段やっていないことをいきなり真剣勝負でやらされるのはさすがに無理難題。例えば皆さんが高校生だとして、ある日突然「今日から学校内では英語で話すこと」と言われたらどうします? 

これに関しては、北川にポストプレーをさせた森保一、個人で打開できないために、無理とわかっていながら彼にポストプレーを求めてパスを出し続けた周りの選手にも責任がある。

 

※なお、大迫がいない時の戦術がないという批判に関しては、少し厳しいと思う。だって準備期間が少なすぎるし、代役はことごとく負傷離脱しているわけだし。これまた無理難題。

要するにこんな感じだと思うのよ。

北川航也「代表に選ばれた!控えだろうけどセカンドトップでプレーするの楽しみだなぁ!絶妙な動き出しで囮になったり隙をついて点を取ったり!」

森保一センターフォワードがいない… 大迫は怪我明け、武藤は出場停止… となると…」

北川「…………僕ですか? 僕セカンドトップの控え選手(ry

森保「怪我人続出で人手不足だからワントップをやってくれ。他にいないんだ」

北川「えっ… 向いていないと思いますけど… でも仕方ないか…」

 

いまいちピンとこない人は、ドルトムントで無双していた若き日の香川真司をワントップで起用するようなものだと考えるとわかりやすいかも。

あるいはグリーズマンをワントップで使うとか。

彼らは活躍できるだろうか? まあ、まず無理だろう。グリーズマンがあれほどの攻撃センスを持ちながら、ワントップをやらないのもそういうことだ。彼はセカンドトップか2トップの一角でしか出場しない。(たまにウイングやってるけど)

それだけ、ワントップというのは特殊なのだろう。ボールを持った時にとりあえずの逃げ場がないし、相手からは最も警戒されるし。

だから自然と、ワントップにはめちゃくちゃフィジカルの強い選手か、めちゃくちゃ足の速い選手が集まる。

 

セカンドトップで輝きを放つ選手をワントップで使っても、輝けない。それを考慮していない人が多い印象を受けた。

仮に昨日の試合で北川がセカンドトップ(南野のところ)で出場してあの出来だったら、流石に擁護のしようがない。だが、昨日の彼は普段やっていないポジションで出場した。オマーン戦のようにツートップでもない。完全なるワントップ状態に近かった。不慣れの極み。そして比較対象はその道の大物・大迫勇也

それで批判されたらたまったもんじゃない。

サッカーはそんなに簡単なスポーツじゃない。

批判する人は、もう少し多角的な見方をしてほしい。