hasu-footballのブログ

サッカー関連の記事多め。何かしら得ることのある内容にするつもりです。

サッカーは理論と戦術が全てだと思ったら大間違いなのは当たり前だのクラッキ。

 

いきなりステーキだが、「サッカーは理論や戦術が全てではない」と思っている。冗談はよしこちゃんと思った人もいるかもいるかもしれないが、まあそう言わず先を読んでっちょ!

もちろん理論や戦術がベースになければ精神論主体で戦うことになり、それは昨年の柏レイソルのような結果をもたらす。だが、理論や戦術だけではいけないのだ。

 

具体例としてわかりやすいのは、アジアカップ2011カタール戦の伊野波の決勝ゴール。

https://m.youtube.com/watch?v=gWVUUHP3vfY

お分かりいただけただろうか。「伊野波は何ゆえ前線へ!?」と笑ってしまう謎ゴールなのである。

長谷部誠が言うには、当時ザッケローニは伊野波に「後ろで守備をしてくれ。攻撃には参加しないこと。」と指示をしてから投入したそうだ。

だが伊野波はそうしなかった。野生の感覚か自分なりに考えた結果かはさておき、独断で攻撃参加し、決勝ゴール。

きっとカタールも、そんなバナナ、あっと驚く為五郎だっただろう。

そしてザッケローニは複雑な気持ちだっただろう。笑

 

他にも、アジアカップ2019ではカタールのアクラム・アフィフが変則的な動きを繰り返し、日本代表を苦しめた。毎日のように一緒に練習しているカタールのことだから、彼の動きは事前に綿密に考えた上でのものだったかもしれない。

だが、あの動き全てが理論通りだとは到底思えない。ある程度は彼の独断での動きだろう。

 

実は、伊野波やアフィフのように、監督が考えた理論や戦術にとらわれない選手は、味方にとって「なんやアイツ???」かもしれないが、相手にとっても「ちょっとタンマ、なんやコイツ???」なのである。

状況に合わせて、戦術や決まりごとを無視して不規則な動きをする選手がいた方が、相手にとっては厄介である。

だって、せっかく「相手の攻撃パターンがわかった!」と思って喜んでたら、そのパターンから外れて変な動きをする選手がいるんだぜ。

きしょいキボンヌナンジャラホイ。

勘弁してくださいよ〜 (声:出川哲朗) だろう。

ディフェンダーの俺にしてみても、ハッキリ言って、「マジキモいアル」なのである。

 

そういう、自分で考えて動ける人材は、学校教育やビジネスの世界だけでなく、サッカー界でも重要だと思う。

監督の理論や戦術通りに動くだけなら、極端な話、ロボットでもできる。

(ちなみに選手に"戦術遂行ロボット"のごとく動くことを求めることで有名なのが、元オランダ代表監督のファン・ハール)

 

本題に戻るが、残念ながら、サッカー選手に限らず、日本人はこれが苦手だと言われている。すなわち、ルール(理論や戦術)を上から指示されると、それをどんな状況でも頑なに守ろうとするのだ。

言い換えれば、状況に合わせてルールを破ったりオリジナルの動きをしたりしようとしない。

そんなことをしたら怒られるかも…? という恐怖からだろうか。幼い頃から「オリジナリティ」よりも「和」が重要と教え込まれ、同調圧力をかけられ、違反した際は怒られて、成長してきたからだろうか。

アイムソーリーヒゲソーリーで乗り切れないのが日本人なのであろうか。

 

実はハリルジャパンの問題点もそれだった。海外メディアだっただろうか?誰が指摘していたか覚えていないが、「日本人選手はハリル氏の戦術を守ろうと固くなり、自分のアイデアや意外性を封じ込めている」みたいなことを言われていた。(そもそも意外性あるプレーができる選手がいたのかどうかはさておき)

ハリルという男、海外では成功してきた。それは海外の選手が、ハリルホジッチの指示を、場合に応じて適度に無視しながら、自分で考えてプレーしてきたからだろう。

海外の選手は、上を絶対的に敬う儒教の思想がないからだろうか。良くも悪くも上の人間の指示を冷静に捉えて、絶対視しないのだ。自分のアイデアやフィーリングを大切にしている。

だからこそ、堅実なハリルサッカーに独創性や意外性も加わり、結果を残せてきた。そして現在も、ハリルはナントで大躍進を見せている。

 

日本人にはこれができなかった。「ハリルが怖いからだ」「逆らうことを認めなかったからだ」と言うアンチハリルもいるが、本当にハリルがファン・ハールのように「戦術や指示に背いたら怒るタイプ」だったとしたら、なぜ日本代表以外のチームの選手たちは、伸び伸びとプレーできているのだろうか。ハリルをあんなにも尊敬してやまないのだろうか。

整合性がとれないのでは?

 

単に日本人選手が、状況に応じて自分で考えて、最適なプレー、相手を欺く意外性あるプレー、不規則な動き等をできなかった、する勇気が無かっただけでは…? と思うのは俺だけだろうか。

 

そもそも代表チームにおいて、戦術でがんじがらめに縛るのは無理がある。そんなに戦術確認をする時間などないのだから、ある程度は選手の独創性に任せなければいけない。当時の日本代表には、それができる選手が少なかったのではないだろうか、そんな気がしてならない。

 

なお、オーストラリア戦で井手口陽介が決めたゴールは、「戦術を気にしない動き」からのゴールだったと思う。https://m.youtube.com/watch?v=DdCfSGaTBBs

パスの選択肢がいくつもある中で独走してミドルシュート。それまでの井手口のプレーを見ていればわかることだが、ハリルはあの試合で、彼にミドルシュートを打つことなど求めていなかった。どちらかといえば中盤でボールを奪いまくることを期待していた印象がある。

加えて、負けているならともかく勝っていたこともあるし、何もここで無理にミドルを打たなくても… 無難に大迫にパスした方がいいかも…とか、そういったことが井手口の頭をよぎっただろう。

だが井手口はミドルシュートを選んだ。ハリルにとっても「おお… ドリブラーでもないのに一人でドリブルするか… ミドル打つか…」くらいの印象だったかもしれない。だが彼はゴールを大いに喜んだ。

(大喜びの表情の中に少し驚きの要素が含まれているのは、ハリルにとってこのゴールが想定外だったかもしれない。事実、THE・戦術的ゴールだった浅野の1点目ではそこまで喜んでいなかった)

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あの、オーストラリア守備陣が対処に手こずった井手口の単独プレーが、ハリルの指示通りだったとは思えない。イケイケのカウンターでの事だし、ほぼ井手口の独断だろう。素晴らしいゴールだ。忘れないでいてくれたらマンモスうれぴー。

 

グアルディオラ登場以降、戦術論至上主義的な流れになっている現代サッカー。そんな時代だからこそ、逆に、理論や戦術を度外視したオリジナリティ溢れるプレーが、相手にとって脅威になる事が多いのではないだろうか。

詳しい人ほど「戦術論を語るのはナウい」と思っている印象がある。もちろん戦術論を語ることは大切だし、語れる人はカッコいい。たまに見当違いのもあるけど。

だが、サッカーは戦術が全てではないのだ。そんなに理論通りに上手くいくスポーツではない。サッカーをプレーしたことがある人ならわかるだろう。理論や戦術がしっかりしていればしているほど勝てる確率は上がるだろうが、それだけで勝てるわけではないのだ。試合によっては、理論・戦術通りに行く場面の方が少ないなんてことも多い。

 

それに、戦術通りに堅くプレーしていても上手くいかないことは、日本代表を見ていればわかる。結局、日本代表を勝利に導いたのは、泥臭い個人技だった。

アメリカンフットボールは戦術通りに動くことを求められる競技(だそう)だ。それはそれで分析がしやすいし、理論的で面白い。

だが、サッカーはそうではない。

理論をベースにしながらも、状況に合わせて野生の感覚や頭脳を使って、時々理論を無視したプレーをする。この即興の閃きが、チーム力を高めるのみならず、サッカーをより一層魅力的に、奥深いものにするように思えてならない。

 

 

「人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない。」

「ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ。」

「サッカーに最も必要なのはアイデアだ。アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」

「サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ」

「ひとりで試合を変えられる選手たちの時代が、これからやって来るかもしれない。今日もそういう選手は存在し、チームは彼らを必要としている。あらゆる大会が明らかにしているのは、そういう選手を持たないチームは、絶対に優勝できないということだ。」

イビチャ・オシム (元日本代表監督)

オシム語録の引用元: https://grapefruitmoon.info/イビチャ・オシム.html