愚痴は程々に
ツイッターには愚痴ばかり呟く人がいる。何を呟こうが自由だし、かつての俺もそうしていた。だが、今では愚痴は程々にと思っている。
「自由に感じたことを呟くのがツイッターだ」という信念のもと、愚痴ばかりツイートしていた俺だが、大学2年時にその考えが変わった。
詳しく話そう。
大学1年の春、俺は地元の個別指導塾でアルバイトを始めた。生徒は小学生か中学生。皆可愛く、バイトは楽しいものだった。
※生徒は小・中学生 と書くとロリコン疑惑をかけられるので、ここに"俺は張り合いのある高校生指導をしたかった"と言うことを付記しておく。すでに高校生担当のバイトは人数が足りていたので、低学年に回された次第だ。)
※そういや当時国語を担当していた子に超可愛い子がいたな。ロリコンではない俺も流石にハッとさせられるような美少女だった。誰かに似てる、でも誰かわからんと当時は悶々としていたが、このブログの最後に登場する大女優だと今気づいた。
生徒は可愛いしそれほど難しいことを教える必要もないし忘れかけていた中高数学の復習もできるしで、最高かよと思っていた。
ところが、夏期講習で請け負った生徒に、1人厄介な子がいた。サッカー部の2年生だった。
彼は隙あらば学校や友人の愚痴を語るのだ。
毎日毎日。ブースに来た瞬間から愚痴り始める。途中で遮って無理矢理授業をすると不機嫌になる。
そんなこんなで、毎日1時間近く愚痴を聞かされた。全く。俺はカウンセラーじゃないんだよ。時給1100円で何でカウンセリングまでしなきゃいけないんだよ。
始めてこのアルバイトで精神的苦痛を感じた。
この経験が、俺の愚痴の量を大幅に減らした。
もちろん彼に愚痴を延々聞かされてうんざりし、「ああ、人の愚痴を長々と聞くのはこんなに辛いことなんだな」と痛感したからというのが最大の理由だ。
だがもう1つ理由がある。それは、ストレス解消のために愚痴っているはずの彼が、全くストレスを解消できておらず、毎日別の話題を引っ張ってきては愚痴っていることに気づいたからだ。
愚痴がクセになると、ストレス解消の手段だったはずが、いつのまにか目的となってしまう。そうなると、愚痴をいうネタを無意識下に探すようになってしまい、結果としてなんでもネガティブに捉え、粗探しをするようになってしまうのではないか、と俺は考えた。
それはどう考えても不幸な状態である。あまり長く続くと、根暗になってしまうのではないかとさえ思えた。
仲の良い人の愚痴ならまだいい。聞いたり読んだりして共感することで信頼関係が生まれるし、似たような不満を持っている自分に気づけることもある。それから、自分の知らない世界に生きている人の愚痴は、知識になる。(純粋に、へぇ〜そうなんだ〜と。)
それは間違いない。
しかしいずれにせよ、限度がある。適切な愚痴の量というものがあるだろう。始めは親身に聞いていても、1時間も愚痴を聞かされれば嫌になってくるのが普通の人間だ。
言っている本人は楽しいのでなかなか気づかないのがまた辛いところ。
ツイッターでも同じだ。毎日毎日浮上したかと思えば愚痴しか言わない人を、あなたはフォローしたいか? リムるまではいかずとも、ミュートするだろう?
愚痴は程々に。もしどれだけ愚痴り続けても嫌がらずに根気よく親身に聞き続けてくれる人がいたとすれば、その人はあなたのことが好きな可能性が高い。
※もちろん、単に性格の優しい人だったり、あるいは人の不幸話を聞くのが大好きな悪趣味な人間の可能性もあるので注意。
(いずれにせよ、自分を好きでいてくれる人に愚痴を聞かせ続けるのは良くないと思うネ。2人とも共倒れするかもヨ。)
You can tell more about a person by what he says about others than you can by what others say about him.
(意訳) その人が周りからどう言われているかよりも、その人が周りの人たちをどう言っているかによって、その人がどんな人かがわかる。
オードリー・ヘップバーン (イギリスの女優)